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オーディオブーム [経済考]





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70年代にオーディオブームがあった。物質・形にない音を追求するというのは行き着くところのないものだった。経済成長とともに徐々に高級機種へとエスカレートしていく、またこれが楽しいものだった。

音響という定量化しにくいものが対象だったのか、オーディオ評論家も多数輩出し、専門誌と共に大いにもてはやされた。多くのリスナーは所有する機器と音を競い合った。

ACケーブル、ピックアップカートリッジケーブル、スピーカーケーブルなどまで高級素材を惜しみなく採用した高級品が開発され発売された。

海外製品もスピーカをはじめ高級機種が大いに売れた。現在のような円高でない時代だったので名実共に高級品だった。

先のケーブル関係も含め、イメージが先行して音がついてきた。

これを雑誌や評論家がフォローした。

 


機器のメーカーは専業メーカーから業績が伸長していった。市場性が認知されると家電メーカーなどの参入が盛んになって、コスト競争が始まり、オーディオマニア(ユーザ)の追求してきた方向性を失った。そしてブームは終わった。

オーディオ製品専業メーカーは大いにダメージを被り、山水、トリオ(ケンウッド)、パイオニア、赤井、アイワ、ティアックなど現在も苦境を抜け出せないところも多いのではないだろうか。


日本の製造業の多くのビジネスは、市場性が確認されると先鞭をつけた製品の特許を如何に回避して低コストでしかも短期間で市場エントリーするかを考えるようだ。これで市場を食いつぶす。これまでの間、日本のメーカー間の競争で技術、コスト競争でリソースを疲弊させる。このような安易なマネージメントで、あるべき製品を見えなくしてきたのが実態ではないだろうか。古くはウォークマン(R)も各社から似たようなペットネームで高実装と省エネルギーで多数の製品が氾濫した。iPodのときも。パッドのときもだ。どれも成功を収めることはできなかった。

こうやって内部でつぶし合って、競争力を失った。


戦後、日本製品は苦難を乗り越えて品質と低コストの日本製品ということでイメージを作り、貿易収支の黒字化によって経済成長を遂げてきた。

このビジネスモデルを作れたのは世界中で日本だけだったのか、競合他国はなかった。ひたすら高品質を追求し、後に韓国、中国製品が低価格でエントリーしてくると高密度、小型化、軽量化など新参ものにはとうてい真似できない技術で競争を回避してきた。この解りやすい目標は勤勉な日本人にはとても馴染みやすかった。


しかし、かって日本が技術の積み上げに苦労を重ねてきたハイテク技法はCAD/CAEなどや高性能の生産設備の環境が完成度が上がってくることにより、現在ではどんな国にでも短期間でそこそこの製品をリリースか可能だ。


世の中のニーズは製品そのものが凄いということから、使うことで何が帰ってくるのかがより重要になってきた。

かって日本のメーカーがやってきた手法、市場を開拓した製品の特許をどのように回避し、低コストの製品を短期間でリリースするという技術は役立たなくなった。

発想の着眼点を変えなければいけない。「数値化できないものは管理できない」などと言っている暇はない。新しいもの、音のように捉えどころがないものへのチャレンジがいま必要とされる。日本人がもっとも不得手とするところだろうか。

早くトンネルから抜け出して欲しい。




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