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団塊(だんかい)世代って何?(4) [雑感]





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なかったといえば、代表的な例でテレビ。

テレビのない時代はラジオになるんだろうが、はっきりした記憶もないことを見ると、夕方暗くなるまで外で遊び回って、家人に呼ばれて家に帰るとすぐに夕食で、食後間もなく寝たのではないかと思う。

ラジオ番組は「ヤン坊ニン坊トン坊」などをときどき聞いていた。

家庭にテレビがやってきたのは、1954年ごろだと記憶している。もちろん白黒だ。



テレビ番組はアメリカのテレビドラマが多かった。「名犬ラッシー」「名犬リンチンチン」「海賊船サルタナ」。

7時ごろに野村證券の提供だったか「国際ニュース」が思い出される。わずか5分くらいのニュース番組だが、海外の出来事を知ることができた。

それは非常に興味深かった。

それに忘れてはいけない「プロレス中継」これは放送時間が来ると近所の人たちが我が家のテレビの前に集まって観戦した。みな応援するレスラーはおなじだから、喧嘩もなく和気藹々と、いい時代だったな。


テレビは娯楽ばかりか、さまざまな情報を得る媒体として画期的な製品だ。テレビから得たもの、影響されたものは非常に大きい。パソコンもそうだが、テレビにこの時期に出会えたのは凄く幸運だったと言わざるを得ない。



テレビのブラウン管の前にフィルター?を引っかけてフィルターを介して見るのが流行っていた。たぶんコントラストがあがるとかの機能があったのか。

そのうちこのフィルターがRBGの3色を帯状に入れたものが出てきた。白黒画面が簡易カラー画像になるというもの。

実際に見たときの記憶はないので、どんなものだったかコメントできない。


この時、カラーテレビなるものができるとは考えてもいなかった。映画だって多くは白黒だし、写真だって、新聞だって白黒だった。

自然界の色を人間の目でどのように感じるのかなどという高等なことはわからないが、技術的に白黒がどうやってカラーになるなどは子どもの頭では考えられない。

テレビは白黒で十分と思っていた。


それが、1964年の東京オリンピック開催が決まるとカラー試験放送が開始され、カラーテレビも間もなく家庭に収まった。

と言えどもすべてがカラー放送になるのはずっとあとのことだ。カラー放送の番組ではカラーと画面上に出ていたように記憶している。


当時のカラーテレビのデザインは家具調の豪華なものだった。非常に高価なテレビに如何に高級感を持たせるかというテーマの結論だろうが、どのメーカのものも一緒だったのは、違和感もあった。


テレビは街の電気屋さんで購入し、故障のときは購入先から出張で修理してもらった。簡単な修理は無償だったか?

私はこの修理を見るのが好きだった。いろいろな電気部品がきれいに配置され芸術的でもあった。怖いのはテレビの高圧部にドライバーで触れたときの火花、音。見えないが怖いと本能的に感じた。

見えない電気は怖いが、見えるものは美しいと。






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タグ:団塊世代
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