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カメラの進化は操作のオートマチック化で大衆化を図ってきた [カメラ]





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 フィルムカメラではよく失敗した写真を撮ってきた。


巻き上げスプールへのフィルム引っかけが不十分で巻き取りができなかったため撮影できていなかった。


フィルム装填済みのカメラの裏蓋を開けてしまった。


フィルム感度の設定失敗で撮影結果がアンダーまたはオーバー。


露出設定ミス。

(最初の一眼レフカメラには露出を計る機能が装備されていなかった。カメラとは別に露出計が必要で露出計で測定した結果から、絞りとシャッタースピードを撮影状況によって選択し、カメラの絞りリング、シャッタースピードダイアルを設定した。その後、一眼レフカメラにもTTL露出計を内蔵したカメラがリリースされたが、ファインダー内の露出計針を絞りとシャッタースピードを調整して針を所定の位置に組み合わせを決めるものだった)


撮影途中でフィルムエンプティで巻き上げ後フィルム交換で時間がとられて、撮影チャンスを見逃す。


ストロボシンクロ設定ミス


カメラぶれ 

(高感度のフィルムが少なかった)


マニュアルフォーカスのためのアウトフォーカス


フィルムの高温多湿環境での長期保管でフィルム劣化


ネガフィルムの保管不適によってカビ発生などで焼き増し不適


これらのトラブルは多くカメラメーカの設計に携わっていた皆様が苦労の末に徐々に自動化を達成していた。この成果の一部はデジカメに受け継がれ、さらに進歩していった。



デジカメになって自動化の精度も向上し、これにかかるコストも最小化してきたことで、いまやスマホのカメラを含めるとカメラを持つ人は本当に多数になった。


これで誰でもが明らかに失敗ではない写真がとれるようになってきた。


しかし写真はシーンを画像として正確に記録することと、シーンを人間個々が創造的イメージを持って画像を作るという2つの作用を持つんではないか。

後者ではオートマチック撮影で偶然を待つのではなく、積極的にカメラを操作することで得られる場合が少なくない。



私のカメラに求めたいと思う項目は、マニュアルモードでの操作性の自由度を向上させたカメラが理想だ。(レンズにフォーカスリングが、絞りリングがついている。ボディーにシャッタースピードダイアルが付いている。これらを簡単にオペレーションできる)

もちろんオートマチックモードの精度向上も。


 

蒸気機関車(SL)の撮影では次のような段取りをしていたもんだ。

当時からすでに国鉄の無煙化推進によりSLの運行路線は非常に限られ、さらに運行本数もすくなかったので、フィルムカメラでも対応できた。


まずロケを行いポイントの目星をつけて、撮影ポイントを決める。時刻表をみていつ頃通過するのか確認し、撮影機材を準備、撮影予定枚数プラス予備枚数のフイルム残量があるか確認し、不足していればフィルムを入れ替える。画角などを決め持参の単焦点レンズをセットし、そこにSLが来たときの状況を想定してどの時点でシャッターを切るかなどを予想する。


左右に走行する場合はフォーカス操作は簡単だが、手前に迫ってくる場合には走行を予想してフォーカスリングの手加減を何度か手で覚える。

露出を決めて、シャッタスピードと絞りを決める。

時間が余っていれば休息する。(この休息の時間が何とも言えずいいんです。やっと空気が吸えたという気持ちでしょうか、張り詰めた中に緊張が解けた瞬間)という具合です。


このようにしても思いもしない事態が起こるものです。通過する速度が思いのほか速かった(フィルム巻き上げが間に合わない)あまりにダイナミックな姿を目の当たりにしてぶれた。などなど。場数を踏まないと中々思い通りいきません。


また自然も見方になってもらわなければなりません。風の影響が非常にシビアです。

風下で撮影ポイントをとってしまうと排煙が手前に来てしまってせっかくのSLの美しい姿が隠れてしまいます。

同じように走行方向後ろ側に排煙がきれいに流れればベストですが、追い風では排煙が前に流れてしまうこともあります。逆送の補機のような写真になってしまいます。


このようにして思い通りの写真が撮れたときの喜びは想像以上のものが体感できます。(もちろん撮影の結果がわかるのは帰宅して現像してからになります)

いまのデジカメやスマホでも同じ状況で同じような写真が撮れる(またはそれ以上)とは思うが、その喜びは大きくはないのではないだろうか。

写真、カメラの妙ということか。

 

この世界でプロが存在するということに通じているのと関連があるということしょうね。帰ってくるところは自分の目ですね。



デジカメ黎明期に特に印象的だったのはApple Computer社(当時)の販促カタログだったか、当時米コダック社のOEMのデジカメQuickTake100というカメラ。


デジカメだからコンピュータとの相性はいいのだが、接続して何に役立てるかっていうのが、日本のメーカーのとりあえず接続環境だけ技術提供して何に使うかはユーザー任せというのと違って、Apple Computer社の提案は、あるユーザーを想定して、自宅をはじめて訪れる友人に自宅までのルートを的確に伝達するのに、デジカメで撮影して画像と地図を組み合わせたドキュメントを作成したものだった。(ウィキペディアにはワープロ文書に写真を貼り付けて学級新聞を作るという利用法で紹介されたとあるが、記憶にない)


いまでこそGoogle Mapでストリートビューなどと便利なものがあるが、1994年頃の話である。

写真をコンピューターで自在に加工して役立てるという発想があった。写真の新しい使い方だった。


このQuick Takeにはファインダーはあったが、液晶モニターは付いていなかった。この素晴らしい画期的な機能追加はQuick Take100よりやや遅れカシオ社より発売された「QV-10」。

カシオの野心作であろうこのカメラは秋葉原デジタルショップのショーケースの中で輝いていた。


その後、ひたすら画素数の拡張で競争がはじまった。

 

むかしのフィルムカメラの時代ではカメラはレンズと共に資産継承が重要であり進歩はもっぱらフィルムにあった。レンズ交換式デジカメでは多少そのような思想はあるが、それにしても技術の進歩は止まることをしらない。やっと使い慣れて手に馴染んだカメラ本体も商品寿命が短すぎる「もったいない」。





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