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模倣と創造 [経済考]





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 かつてはコピー製品の氾濫で有名だった(今でもか?)中国も、デジタル機器に限定すればコピーの対象が日本製品から米製品に変わってきたようだ。
コピー商品は世界的規模で売れているというものでないと意味がないからだ。

言い方を変えれば、日本製品が売れていないことがうかがえる。


 かつて日本でも欧米の高級製品を追いかける時代があった。
高級なものを安価に作ることが市場を開拓するうえで重要だった。

当時の日本ではほとんど見ることがない海外製品を購入してきて、分解しながら詳細に分析し、技術や設計思想を学び、いいところを吸収しようとしてきた。
ここで、コピー商品はやらなかったのは、常にそれを超えようとする強い競争意識と欧米に負けじとするプライドが日本中に充満していたと思う。

夢のような話だったが、いつの日か欧米の製品と並び、超えようとしてきて、生産数量や売り上げ額など超えることができた。

最初は模倣から始まり、次第に改善(発想は真似てこれをアレンジ、特許の権利範囲を回避するなど=これも模倣のうちだと考えられる)で超えることを目指し、これらの経験をベースにして独自性(オリジナリティの創出)を創造してきた。

こうして、欧米の企業は該当マーケットからの撤退に追い込まれ、これが関係したのか疑問だが、該当製品の進歩が著しく鈍った。(創造的進歩がなくなったのか)


 日本製品の模倣、真似の手法は、欧米製品に限ったころではなかった。先の弊ブログでも書いた記憶があるが、国内でヒットした製品(機能)は同じような製品が、いろいろなメーカーから商品化され、マーケットを食い合って、マーケットを早期に収束させたことが多々あった。(競争激化により、商品開発にかかる多額の資金の回収が困難になったり、充分な開発時間や資金が調達できなくなる)

各メーカーには独自の販路をあり、その中のバイヤー、セールスマネージャーが今売れている商品が欲しいというのは、言わずもがなだがである。

日本には購入者は神様だという思考がかつて存在していた。よってエンドユーザー(購入者)とは言えないが、そのような人の意見は重きが置かれてきた。

仕方ない事情があったということも言えなく無いが、いいことではないだろう。

 手本となる対象があって、苦労の末にそれを超えることができた。
その次の手を企画しなければならない、追いかけられる対象になったが、次の手がうまくいかなかったのか。徐々に失速していった。

このようにして、生産国の世代交代が起こるものなのだろうか。

 中国の設計や製造技術は世界レベルから著しく劣っているのでしょうか。劣っている故に売れ筋製品のフルコピーしかできないのか。

否。現地の企業にも依るが優れた技術者を抱え、世界レベルの技術をもっていると思う。フルコピーはブランドが欲しいだけ。ブランドがないことでマーケットを創り出せないだけではないか。
日本がコツコツやってきて信頼を築き、世界ブランドを作り上げた時間は膨大だが、現在ではそんな時間は与えられない。世界の時計が変わっている。

欧米の企業のすべてがオリジナリティを持っているかは疑問もあるが、日本も中国も韓国もオリジナル製品を「真似る」、「改善する」は子どもの成長期と同じ思考だが、大人になるためには、次のステップをどのようにクリアしていくか、真のオリジナリティを創造するのかマネージメントが強く求められる。




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タグ:経済考
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