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ペリーが歩いた横浜・YOKOHAMA その3 [歴史散歩]





ペリーが歩いた横浜_キリン公園-28.jpg
キリン公園の石碑「麒麟麦酒開源記念碑」
キリン公園って言うのもすごい命名だが、ここはペリーの時代以降のものなので、サービスといったところか
ところで、横浜はなんとか発祥の地となっているところがすごく多い
海外の情報、文化、技術が非常に大切だと言うことだろうか

こんな日にこの場所で冷えたビールでも飲みたい雰囲気だが、
まだ先があるので我慢


ペリーが歩いた横浜・YOKOHAMA  主催:NPO法人神奈川歴遊クラブ

 

  前記事に続き、ペリーが休日の1日を横浜の村と日本人を知るために歩いたとされる足跡を訪ねた。

 

前記事の元町公園の木立の日陰はありがたかったが、山坂で汗をかいたのでプラスマイナスゼロってところ。

山手の高級住宅地らしき坂道を下っていく。

T字路の突き当りが小学校。小学校の前を行くと左側に小さな公園。

公園の名がキリン公園だって。

 

もと来た道を戻りながら歩いていると英語が聞こえてくる。

外国人などが多い学校なのか。

さすが、横浜らしいねと変なところで感心させられた。

 

あえて英会話教室なんかに通わなくても、小さい時期からこうした環境にいれば英語も不自由なく話せるんだろか。

もっとも考え自己を主張し相手に伝えることの技術がないと無意味だけどね。。。

 

日米和親条約の交渉の時に日本側に日本人の通訳がいると言う話があったことを思い出した。

当時はオランダ語が外国語の主流であったので、通訳は英語<ー>オランダ語(米側)<ー>オランダ語(日本側)<ー>日本語 だったようだ。

 

観光地となっている横浜外国人墓地を見て、貝殻坂を下って行くと外国人墓地として最初に作られたエリアがある。

ここにペリーの部下などが葬られていると言う説明があったが、塀の外から覗いても見ることができないようだ。

ここからしばらく歩くと、今回の最終目的地 代官坂。

ペリーはここの代官屋敷で休憩して多分な接待と受けたと言う。

昔の日本人の寛容さが伝わってくる。

 

暑い中での小旅行で非常に興味深いお話を交えながらの主催者、関係者の方々には感謝申し上げます。

友人の歩数計で15.000以上だったようで久しぶりの徒歩による運動と言える運動だった。

 

 

コース

1)日米和親条約締結地

2)海辺通り(元浜町通り)

3)洲干弁天社(神奈川県立歴史博物館付近)

4)太田屋新田(太田屋通り)

5)横浜新田(中華街)

6)元町公園・貝殻坂

7)東漸寺跡(北方小学校)

8)麒麟麦酒開源記念碑

9)横浜外国人墓地

10)外国人墓地22区(海兵隊員ウィリアムズの埋葬地辺り)

11)増徳院跡

12)石川徳右衛門居宅(代官屋敷)

 

コースの順は各班との兼ね合いから1)から順番とはなっていなかった。

このシリーズは今回をもって終わります。

 


 

 

 

   



ペリーが歩いた横浜_外人墓地-28-2.jpg
北方小学校の隅にあった井戸
ビール工場で使用した水をこの井戸で供給していた


7)東漸寺跡(北方小学校)
1873(明治6)年に小学就蘭学舎(北方小学校)が境内で開校。しかし、寺は明治8年に焼失。
その後移転し現在地は中区大平町。新編武蔵風土記には、「村の北にあり天沼山威徳院、古義真言宗、薬師堂、阿弥陀堂あり、諏訪社が持ち」とある。
また、当寺の近くには中央の小島に弁天祠がある天沼琵琶池があったという。
艦内での暮らしが長かったペリーにとって、花々が咲きほこり、新緑の香りに包まれていた境内は、気分転換には格好の場所であっただろう。
明治期になりビール工場が建設され、付近は急速に市街化し池もほとんどが埋め立てられた。
ビール工場の移転後、北方小学校の敷地になった。

(NPO法人 神奈川歴遊クラブ 資料を転載)


8)麒麟麦酒開源記念碑
麒麟麦酒(株)発祥の地。
1870(明治3)年、米人コープランドが山手122、123番に始めたビール醸造所(スプリング・バレー・ブルワリー)。
この一帯は旧北方村天沼泉の谷と称して、湧き出る泉や池があった。
また、水田が棚をなした谷戸だった。
醸造所の名前もこれらの湧き水や池にちなんでつけられたと言われる。
生産されるビールは天沼ビヤザケと呼ばれていたとの伝えがある。
15年後に資金不足で倒産。トーマス・グラバーの斡旋で外国人と日本人の新株主からなるジャパン・ブルワリーが継承。
創立したばかりの明治屋が販売を引き受ける。
1888(明治21)年からキリンビールの商標が用いられた。
1907(明治40)年、三菱、明治屋、日本郵船などが協力しジャパン・ブルワリーを買い取り、麒麟麦酒(株)が誕生。関東大震災で被災し、1926(大正15)年に鶴見に移転。

(NPO法人 神奈川歴遊クラブ 資料を転載)



ペリーが歩いた横浜_外人墓地-29.jpg
有名な横浜外国人墓地
小高い丘の斜面にあり、横浜市内がよく望める絶好のロケーション

ペリーが歩いた横浜_貝殻坂-30.jpg
外国人墓地を回り込むように貝殻坂を下ってゆく

ペリーが歩いた横浜_初期の外人墓地-31.jpg
住宅地に挟まれた小道でペリーの部下の墓があると言う
外国人墓地として最初に設置された付近を金網越しに覗く

ペリーが歩いた横浜_初期の外人墓地-32.jpg
その墓地の内部


9)横浜外国人墓地
最初の埋葬者はペリー艦隊の海兵隊員ウィリアムズ。
1854(嘉永7)年、交渉開始2日前にマストから墜落死。3ヶ月後下田に改葬。
現在、最古の埋葬者は、横浜開港の年に殺害されたロシア艦隊の兵士2人。
1902(明治35)年以降は、墓地として日本から横浜駐在外国領事団ー>居留民による墓地完治委員会ー>(財)横浜外国人墓地(管理委員会)が永久租借をしている。
この墓地の特徴は、無償で貸与し続けられてきたことと、人種・国籍・宗教によって分け隔てされるとこはなかったことなど。
現在の面積18,400平米(約5,600坪)、埋葬者40数ヶ国、約4,870人。内訳:英国人1,500人以上。米国人約1,000人以上、ドイツ人約350人、フランス人約190人、ロシア人約120人ほか。
正門の建築年は不詳(関東大震災後)。設計はJ・H・モーガン。正門を中心に、花崗岩を積み上げた左右対称の袖塀は重厚感に溢れ、風格あるデザイン。正門の鉄扉は、英国製の華麗なデザインだったが戦争中に供出、現在のものは2代目。
門柱は碑文は後のもの。門柱の右側の詩は、英国の詩人トーマス・グレーの「墓畔の哀歌」(1751年)で、英国でもっとも親しまれている抒情歌の一つ・
明治百年を記念して、1968(昭和43)年に彫られた。

(NPO法人 神奈川歴遊クラブ 資料を転載)



10)外国人墓地22区(海兵隊員ウィリアムズの埋葬地の辺り)
第一回の会談で、彼の埋葬場所をどこにするかが話し合われた。ペリーは夏島(現在は埋立地の一部)を希望したが、増徳院の境内に決まった。1854(嘉永7)年3月9日、埋葬の行列が谷戸坂下付近から境内まで進み、鼓笛隊がヘンデルの埋葬行進曲を奏でたという。
「ペリー艦隊日本遠征記」は、埋葬地について「丘の麓のとても美しい場所」と記している。
どう墓地最初の外国人埋葬者だったが、3ヶ月後に下田の玉泉寺に改葬された。

(NPO法人 神奈川歴遊クラブ 資料を転載)




ペリーが歩いた横浜_代官坂-33.jpg
この小旅行の工程の最後
代官坂


12)石川徳右衛門居宅(代官屋敷)
石川徳右衛門(第11代)は横浜村の名主。のちに横浜町惣年寄。日米和親条約締結会場の設営、食料、その他の施設一切を取り仕切った。
石川家ではペリーの訪問時、柔らかい畳を敷いた座敷に腰掛けを用意したという。二人のレディ(徳右衛門の妻と妹)から茶菓子、ワッフル(焼餅)、味醂酒などのもてなしを受けて、謹厳なペリーも上機嫌になり、赤ん坊をあやしたり、最後には一家全員の健康を祝して乾杯をしている。また、この散歩はこれまで男性ばかりを相手にしてきたペリーに、日本の女性を観察する機会をも与えた。既婚の女性の「お歯黒」を除いて、結果は好評だった。「若い女性は格好が良くて美しく、立ち振舞いも活発で自主的である。これは、女性が比較的高い敬意を払われていることから生じる品位の自覚からきている」と「ペリー艦隊日本遠征記」に記している。

(NPO法人 神奈川歴遊クラブ 資料を転載)



ペリーが歩いた横浜_遅い昼食-34.jpg
解散後に中華街に移動して遅い昼食
 
 






 


 





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コメント 2

mimimomo

こんにちは^^
同じ歩くのも、こうして歴史を勉強しながらはいいですね~一石二鳥^^
少し横浜を知りたいと思いましたよ。近日中に行くから、まずはタワーにでも上がって俯瞰してみようかな。
by mimimomo (2016-10-17 10:24) 

DANKAI_Gen

mimimomo さま
いつもありがとうございます。
この道は誰が歩いたとか、この辺りで有名な事件が起こったなどと言うと、その場が違った空気に包まれるようです。
横浜楽しんできてください。
by DANKAI_Gen (2016-10-17 17:38) 

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