ペリーが歩いた横浜・YOKOHAMA その3 [歴史散歩]
前記事に続き、ペリーが休日の1日を横浜の村と日本人を知るために歩いたとされる足跡を訪ねた。
前記事の元町公園の木立の日陰はありがたかったが、山坂で汗をかいたのでプラスマイナスゼロってところ。
山手の高級住宅地らしき坂道を下っていく。
T字路の突き当りが小学校。小学校の前を行くと左側に小さな公園。
公園の名がキリン公園だって。
もと来た道を戻りながら歩いていると英語が聞こえてくる。
外国人などが多い学校なのか。
さすが、横浜らしいねと変なところで感心させられた。
あえて英会話教室なんかに通わなくても、小さい時期からこうした環境にいれば英語も不自由なく話せるんだろか。
もっとも考え自己を主張し相手に伝えることの技術がないと無意味だけどね。。。
日米和親条約の交渉の時に日本側に日本人の通訳がいると言う話があったことを思い出した。
当時はオランダ語が外国語の主流であったので、通訳は英語<ー>オランダ語(米側)<ー>オランダ語(日本側)<ー>日本語 だったようだ。
観光地となっている横浜外国人墓地を見て、貝殻坂を下って行くと外国人墓地として最初に作られたエリアがある。
ここにペリーの部下などが葬られていると言う説明があったが、塀の外から覗いても見ることができないようだ。
ここからしばらく歩くと、今回の最終目的地 代官坂。
ペリーはここの代官屋敷で休憩して多分な接待と受けたと言う。
昔の日本人の寛容さが伝わってくる。
暑い中での小旅行で非常に興味深いお話を交えながらの主催者、関係者の方々には感謝申し上げます。
友人の歩数計で15.000以上だったようで久しぶりの徒歩による運動と言える運動だった。
コース
1)日米和親条約締結地
2)海辺通り(元浜町通り)
3)洲干弁天社(神奈川県立歴史博物館付近)
4)太田屋新田(太田屋通り)
5)横浜新田(中華街)
6)元町公園・貝殻坂
7)東漸寺跡(北方小学校)
8)麒麟麦酒開源記念碑
9)横浜外国人墓地
10)外国人墓地22区(海兵隊員ウィリアムズの埋葬地辺り)
11)増徳院跡
12)石川徳右衛門居宅(代官屋敷)
コースの順は各班との兼ね合いから1)から順番とはなっていなかった。
このシリーズは今回をもって終わります。
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こんにちは^^
同じ歩くのも、こうして歴史を勉強しながらはいいですね~一石二鳥^^
少し横浜を知りたいと思いましたよ。近日中に行くから、まずはタワーにでも上がって俯瞰してみようかな。
by mimimomo (2016-10-17 10:24)
mimimomo さま
いつもありがとうございます。
この道は誰が歩いたとか、この辺りで有名な事件が起こったなどと言うと、その場が違った空気に包まれるようです。
横浜楽しんできてください。
by DANKAI_Gen (2016-10-17 17:38)