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マイ ファースト コンピューター [パソコン]

Macintosh総合カタログ00.jpg
なんども見ていたためか手垢で変色している
この総合カタログに1990年と印刷されていた
左上のアップルマークがレインボーカラーだったりApple Computerってあるのは
時代を感じるな




マイ ファースト コンピューター

 弊ブログの開設当初の記事で取り上げた話題だが、改めてというか昔のMacintoshの総合カタログが出てきたので、思い出しながら、色々考えて記事にしようと思った。


 おいらが最初にコンピューターって言葉を聞いたとき、職業人(たとえばティーチャーとかドクターとか)を指す固有名詞だと思った。でもそれは人?そのものだった。(当時はそう思った)
人そのものと言っても人のアシスタント(機械)?
そういう印象を持ったコンピューターは、大規模な高価格なものだった。(当時パソコンなんていうジャンルのコンピューターはなかった)

しばらく間をおいて、マイコンとかパソコンって言葉が聞こえるようになった。(パソコンってPersonal Computer の略だと思うけど日本語 米国ではPersonal Computerなんて言い方はしないらしい。単にPC。一方でMacはPCではないという考えもあるようです)


秋葉原はまだ、オーディオ製品が全盛の時代だったが、それでも店舗の最上階の隅の方で電子音を聞くようになった。
ガラスケースの中にはマザーボードが鎮座していたが、おいらには全く興味を引くものではなかった。(一部のマニアには垂涎の対象だったのだろうか)
なんせ、オーディオメーカーで仕事していたから。


こんなゲーム用のマイコンが、仕事のツールとしての地位を徐々に拡大していくところを観てきた。
サラリーマンとしての勤め先がコンピューターのメーカーに変わっていたから。
門前の小僧になるために色々興味をもって接してきた。

当時のコンピューター(たぶんこの頃はパソコンとか言ってたかも)は、モニターに黒い画面に白、青、赤などの文字で、その文字は同じ文字を扱う印刷物などとは比べようもない、醜いものだった。
当時のスクリーンフォントは8×8ビットだったかも。その後16ビットか24ビットになったと思う。


そんな時、米国からMacintoshって小さなプラスチックケースのコンピューターがサンプルとして送られてきた。
おいらの興味はその外観の美しさ、画面とそのGUIというオペレーション方法の革新性に釘付けになった。

初めて、ソフトウエア、オペレーティングシステムを意識した瞬間だったかも。
ちなみに、このMacintoshの最初のモデルは1984年1月24日が誕生日らしい。
上記のMacintoshに出会ったのは1984か1985年だと思う。(35年も前って信じられん)



その後、職場に多数のMS-DOSのスタンドアローンのパソコンが入ってきたけど、おいらが担当する設計やデザインの分野で活躍できるものではなかった。
ほとんど、一太郎っていうワープロソフトで文章を作ってプリントする作業に使用したと思う。(ネットにも接続してないので、メールとかでなくてほとんど紙に出力)

パソコンのハードウエアの進歩は日進月歩でそれに伴ってOperatingSystemも進歩して、いつの日か設計やデザインの分野でも使えるものが出てきた。


グラフィック関係のデザイン分野では、MacintoshがDTPの分野で先行していた。
そんなことでMacintoshが職場に入ってきた。
必然的に、この魅力的なパソコンはみんなの注目のマトだった。それで中には個人で購入する人が出てきた。
おいらもその一人。



長い前置きはこのくらいにして、
秋葉原に行ってApple Macintosh ⅡCXを購入。
これが、 おいらの「マイ ファースト コンピューター」。
メモリーが4MB  HDD 40MB  クロックが16MHzだった。
このスペック、今でこそ非力なものだけど素晴らしいものだった。その分高価だった。
当時のMacintoshは本体にマウスが付属していたが、キーボードは別売だった。
キーボードが色々なタイプから選択できるということだろうが。そんなのアリかよ。

1991年ごろだった。



おいらは、今でもMacを使っている。(もちろん最初に買った Mcintosh ⅡCX じゃない)
いつ頃からかMacintoshはMacに名称が変わっていた。
CPUもOSも変わった。
30年間もたくさんのこととともに、デジタル生活を送ってきたが、いつもかたわらにMacがいた。
完全なデジタル中毒かもね。

 



   


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大嘗宮一般参観に行った <昨年のはなし> [建物]

大嘗宮一般参観00.jpg


大嘗宮一般参観に行った <昨年のはなし>

 おいらのような「年寄りは出歩かない方がいいよ」ってテレビのアナウンサーからの呼びかけに呼応して散歩に行くこともなく、加曽利貝塚も博物館が休館になってしまったため、土器づくりにも出なくなってしまった。
と思いながら顔を下腹部に向けてため息をつく、今日この頃である。

新型コロナウイルスが対岸の火事で、まさか今のようになるなんて誰もが(責任ある方も含め)想像もしていない時期の12月4日に大嘗宮一般参観に行った。

東京駅の丸の内南口で待ち合わせ。
平日とあって、職場へ向かう人々が足早に通り過ぎてゆく。

当日は秋季乾通り一般公開紅葉狩りと大嘗宮参観の2グループが入り乱れ、結構な混みよう。
宮内庁庁舎あたりで2ルートに別れた一方の行列についていく。
やがてそれかなっていう建物が見えてきた。

人垣の隙間からカメラのレンズをのぞかせて、訳も分からず撮ってきた。
ある資料によれば、天皇が即位の後初めて、大嘗宮において新穀を皇祖、天神にお供えし、自らもお召し上がり、安寧と五穀豊穣を祈念される儀式を行う。とあります。

以前の大嘗宮は儀式終了後に壊して材料は破棄されていたものを、今回は時節柄、材料は再使用されるらしい。
また、屋根材は茅葺だったが、今回のものは桧皮ぶきだそうだ。

久しぶりにこの辺りを歩いて変化の速さを実感してきた。

 



   


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