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(続)また昭和が消えていくのか 割烹旅館 玉川 [歴史散歩]

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(続)また昭和が消えていくのか 割烹旅館 玉川

 その昔、社会人として初めての職場が中央線の三鷹駅のそばにあった。その駅を横切るように玉川上水が流れていることをGoogleMapを見ていて気がついた。
駅の下を川が流れていたとは驚きだ。

それに職場の友達のお宅に向かうのに、五日市街道沿いの玉川上水を左手に見ながらよく行ったものだった。
玉川上水は身近な存在だった。
そんな玉川上水で太宰が入水したと聞いたことがあった。


割烹旅館 玉川で太宰治が泊まって小説を執筆したということに出会って、玉川上水を思い出す。奇しくも旅館 玉川と玉川上水と玉川が一致した。

おいらは太宰の小説に接したことはなかったが、多少の縁を感じなくもない。
これを機に小説の二、三も読んでみようか。

5月末に船橋に行った後で調べているうち、太宰治が病気療養のため1年余りを過ごしたと言うことを知って、6月になってから再び行ってきた。

船橋駅前は前回とは比べようもないほど人が多い。
帰りの時には、店によっては行列ができていた。一方では自粛の札を扉に貼って閉店している店もある。なんとも不思議な光景だ。

まずは、船橋市中央公民館の広場に移植された夾竹桃。
これは、太宰が住んでいた隣家から株分けしてもらって根付いた夾竹桃をのちにこの場所に移植したものだという。
夾竹桃は盛夏に満開となることで知られ、あの暑い中で花を愛でる人も多くはないだろ。
太宰はこの花をとても気に入っていたようだ。

続いて割烹旅館 玉川。 写真では入れ替わっています。
廃業のニュースの中には6月から解体が始まると書かれていたものもあったが、工事が始まっている様子はなく、見物している人もなく静かな佇まいを取り戻しているようだった。

千葉街道を千葉方面へ移動し、海老川の橋を渡って川沿いを北上。
海老川橋を経由して九重橋。ここは太宰の住んでいたという旧宅跡がある。
九重橋には太宰の肖像と代表作の「走れメロス」の一節を刻んだ本を形取ったオブジェが設置されています。
太宰の旧宅を経由して、船橋駅に戻りました。

 


  


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