- 散歩
なんてことはないとは思うが、最近これがくせになってきた。
この地、幕張周辺は旧街道を挟んで北側は古くからある土地でそれなりの歴史的香りも感じられるが、南側はもとはといえば、東京湾の埋め立てによってできた土地なので、大きな木がないとか、道は広くて直線的であったり、高層の集合住宅が整然と建っているとかで、何となく人間性に欠けると、おいらなりの勝手な解釈によって訪れる価値を見いだせない。
だから散策はもっぱら北側で、すこしでも歴史の香り感じられる処に限られる。
で、最初に幕張近辺の山から始まって、ネットでいろいろ調べていくうちに、まさに名の通りネットだね。いろいろ関連したところぞろぞろとが出てくる。
そのうちの一つ、「園生八臂弁財天尊(そんのう はっぴべんざいてんそん)」を訪ねてみた。
木製の車止め、シンプルだが立派で大きな門扉、両側に大きな桜で薄暗いくらいの参道。
そして正面に本堂。これが一風変わった造りだ。
方形の池の中にピロティ構造のような姿で池に浮かぶように佇む建物は教会のようにも見える。
鉄筋コンクリート造りだ。完全なシンメトリーで荘厳そのものの印象だ。
池の中にはライトアップ用のライトも見える。
非常によく計画さてて創られたものと推察される。
でも、これだけのものが何故放置されたままなのか。
ここは千葉山の一部に位置している。
国道16号線から「あやめ台小学校」方向へ折れて、すぐに現れる「八臂弁財天尊」を後にさらに脇道を奥に進むと、千葉山の説明板が右側に見えてくる。さらにその直下には「夢神宮」の石碑がある。
ここは千葉氏代々の墓所であったようです。また古くは貝塚もおおく出土している地でもあります。
うっそうと茂る雑木でなかに入ることはできません。
この周辺は多数の貝塚が出土でしいるらしい。歴史を感じられるひとときでした。
説明板の内容を転載します
<千葉氏文化財 千葉山>
<千葉山は星宮塚古墳群とも呼ばれ、千葉氏累代の墓所であったと伝えられています。「千葉県千葉郡誌」によると、古くは塚とともに五輪塔もあったが、村の境界争いから石塔は大日寺(院内町かた轟町に移転)に移されたという。
また現存する塚は5基であるが、かつては旧都賀村大字園生字長者山から勝田田にかけて10数基が群集していたといわれ、明治時代後半に安川辰蔵がこれらを調査し「千葉家旧墳墓調査資料」(千葉県立中央図書館蔵)を著しています。
書中に図示されている出土品の壺は常滑窯産(とこなめ)の蔵骨器で、その製作年代は大日寺の五輪塔とともに14〜15世紀頃と考えられています。>
おまけ
さらに奥に進むと、「園生の森公園」があり、散策していると大きなキノコと出会った。秋だなって感じたひとときでした。