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閉じこもりもたまには太陽光を浴びないと [散歩]

花見川00.jpg





閉じこもりもたまには太陽光を浴びないと

 いくらなんでも毎日まいにち、家の中でパソコンの画面と対峙していても、いつか発狂してしまうのではないだろうか。
おいらのような年寄りは感染すると重症化の確率が高いらしい。
だからって「引っ込んでろ」って言われてもねぇ。

春めいた日差しを窓の外に感じて、テレビで桜の開花だ、満開になったのと聞くと、歳とたったとは言え、動物的本能が目覚めてウズウズが湧き出してくるようだ。

それに体形を気にしないまでも、見るたびに張り出してくる下腹に、ちょっとは抵抗してみようかって思わずにいられない。

ちょっと散歩に出かけようか。
散歩っていうと自然に囲まれて、季節を感じながらっていうと花見川堤かな。

さぁ、行くぞ。

川に出て、右岸を川上に向けてキョロキョロしながらゆっくり歩く。
ところで、おいらは右ハンドルとか右岸とか左右についての認識がイマイチだった。
今回調べたところでは、川下に向かって右側が右岸ということを知った。
このルールでいうと自動車もハンドルの付いている左右は、乗車した人が正面を向いた時の左右なんだろう。

川面は春の光を反射してキラキラしている。
ウミウもそんな光を楽しんでいるかのようだ。
ウミウとカワウの区別も調べてみたけど、わかりにくい。とりあえずは写真の鵜はウミウにした。

京葉道路の下をくぐって、間もなく現れる汐留橋から先の右岸に桜が左右に咲いている花見の場所。玄鼻橋までの間、約1kmが桜並木になっている。
左右にあっても、まだ古木とはいえない桜なので、トンネル状になるにはまだ時間がかかる。

桜は満開一歩手前でいい感じ。
人出も多くないし、おいらのように散歩を楽しむ人と時々すれ違う程度。ランニングする人が追い越してゆく。
もちろん、車座になって酒盛りしている人たちは皆無。

自宅からの距離も近からず、遠からずでちょうどいい。
玄鼻橋まできて、その先は桜がないので橋を渡って対岸の左岸を帰路に選んだ。
川を挟んで川面に映る桜も綺麗だ。

とか、色々楽しみながらの2時間ほどの散歩は終わった。

ところで新型コロナウイルスはいつ収束するんだろうか。


 



   


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マイ ファースト コンピューター [パソコン]

Macintosh総合カタログ00.jpg
なんども見ていたためか手垢で変色している
この総合カタログに1990年と印刷されていた
左上のアップルマークがレインボーカラーだったりApple Computerってあるのは
時代を感じるな




マイ ファースト コンピューター

 弊ブログの開設当初の記事で取り上げた話題だが、改めてというか昔のMacintoshの総合カタログが出てきたので、思い出しながら、色々考えて記事にしようと思った。


 おいらが最初にコンピューターって言葉を聞いたとき、職業人(たとえばティーチャーとかドクターとか)を指す固有名詞だと思った。でもそれは人?そのものだった。(当時はそう思った)
人そのものと言っても人のアシスタント(機械)?
そういう印象を持ったコンピューターは、大規模な高価格なものだった。(当時パソコンなんていうジャンルのコンピューターはなかった)

しばらく間をおいて、マイコンとかパソコンって言葉が聞こえるようになった。(パソコンってPersonal Computer の略だと思うけど日本語 米国ではPersonal Computerなんて言い方はしないらしい。単にPC。一方でMacはPCではないという考えもあるようです)


秋葉原はまだ、オーディオ製品が全盛の時代だったが、それでも店舗の最上階の隅の方で電子音を聞くようになった。
ガラスケースの中にはマザーボードが鎮座していたが、おいらには全く興味を引くものではなかった。(一部のマニアには垂涎の対象だったのだろうか)
なんせ、オーディオメーカーで仕事していたから。


こんなゲーム用のマイコンが、仕事のツールとしての地位を徐々に拡大していくところを観てきた。
サラリーマンとしての勤め先がコンピューターのメーカーに変わっていたから。
門前の小僧になるために色々興味をもって接してきた。

当時のコンピューター(たぶんこの頃はパソコンとか言ってたかも)は、モニターに黒い画面に白、青、赤などの文字で、その文字は同じ文字を扱う印刷物などとは比べようもない、醜いものだった。
当時のスクリーンフォントは8×8ビットだったかも。その後16ビットか24ビットになったと思う。


そんな時、米国からMacintoshって小さなプラスチックケースのコンピューターがサンプルとして送られてきた。
おいらの興味はその外観の美しさ、画面とそのGUIというオペレーション方法の革新性に釘付けになった。

初めて、ソフトウエア、オペレーティングシステムを意識した瞬間だったかも。
ちなみに、このMacintoshの最初のモデルは1984年1月24日が誕生日らしい。
上記のMacintoshに出会ったのは1984か1985年だと思う。(35年も前って信じられん)



その後、職場に多数のMS-DOSのスタンドアローンのパソコンが入ってきたけど、おいらが担当する設計やデザインの分野で活躍できるものではなかった。
ほとんど、一太郎っていうワープロソフトで文章を作ってプリントする作業に使用したと思う。(ネットにも接続してないので、メールとかでなくてほとんど紙に出力)

パソコンのハードウエアの進歩は日進月歩でそれに伴ってOperatingSystemも進歩して、いつの日か設計やデザインの分野でも使えるものが出てきた。


グラフィック関係のデザイン分野では、MacintoshがDTPの分野で先行していた。
そんなことでMacintoshが職場に入ってきた。
必然的に、この魅力的なパソコンはみんなの注目のマトだった。それで中には個人で購入する人が出てきた。
おいらもその一人。



長い前置きはこのくらいにして、
秋葉原に行ってApple Macintosh ⅡCXを購入。
これが、 おいらの「マイ ファースト コンピューター」。
メモリーが4MB  HDD 40MB  クロックが16MHzだった。
このスペック、今でこそ非力なものだけど素晴らしいものだった。その分高価だった。
当時のMacintoshは本体にマウスが付属していたが、キーボードは別売だった。
キーボードが色々なタイプから選択できるということだろうが。そんなのアリかよ。

1991年ごろだった。



おいらは、今でもMacを使っている。(もちろん最初に買った Mcintosh ⅡCX じゃない)
いつ頃からかMacintoshはMacに名称が変わっていた。
CPUもOSも変わった。
30年間もたくさんのこととともに、デジタル生活を送ってきたが、いつもかたわらにMacがいた。
完全なデジタル中毒かもね。

 



   


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大嘗宮一般参観に行った <昨年のはなし> [建物]

大嘗宮一般参観00.jpg


大嘗宮一般参観に行った <昨年のはなし>

 おいらのような「年寄りは出歩かない方がいいよ」ってテレビのアナウンサーからの呼びかけに呼応して散歩に行くこともなく、加曽利貝塚も博物館が休館になってしまったため、土器づくりにも出なくなってしまった。
と思いながら顔を下腹部に向けてため息をつく、今日この頃である。

新型コロナウイルスが対岸の火事で、まさか今のようになるなんて誰もが(責任ある方も含め)想像もしていない時期の12月4日に大嘗宮一般参観に行った。

東京駅の丸の内南口で待ち合わせ。
平日とあって、職場へ向かう人々が足早に通り過ぎてゆく。

当日は秋季乾通り一般公開紅葉狩りと大嘗宮参観の2グループが入り乱れ、結構な混みよう。
宮内庁庁舎あたりで2ルートに別れた一方の行列についていく。
やがてそれかなっていう建物が見えてきた。

人垣の隙間からカメラのレンズをのぞかせて、訳も分からず撮ってきた。
ある資料によれば、天皇が即位の後初めて、大嘗宮において新穀を皇祖、天神にお供えし、自らもお召し上がり、安寧と五穀豊穣を祈念される儀式を行う。とあります。

以前の大嘗宮は儀式終了後に壊して材料は破棄されていたものを、今回は時節柄、材料は再使用されるらしい。
また、屋根材は茅葺だったが、今回のものは桧皮ぶきだそうだ。

久しぶりにこの辺りを歩いて変化の速さを実感してきた。

 



   


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