武石 真蔵院と羽衣神社



























 








 言い訳になってしまうけど、おいらが所属している「加曽利貝塚土器づくり同好会」のホームページの立ち上げサポートと、この5月に開催予定の作品展というイベントの準備などで、時間を持て余し気味だった身を、かつてのようにいくつもの作業を同時進行でこなしていかないと回っていかない環境下におくことになった。


 


その同時進行の中からブログの更新が抜けちゃって、以前から定期更新どころか、気がつくと長い間更新していなかったんだってことも多々あった更新がそれ以上の間が空いてしまったようだ。


 


 前記事で武石の真蔵院と羽衣神社でのおびしゃ神事を見てきた。


あらためて真蔵院と羽衣神社にお参りしてきた。


 


 


真蔵院は、大同元年(806)に興教大師による開山と伝わる。


千葉常胤の三男で武石三郎胤盛が、母の菩提と弔って建久8年(1197)真蔵院を造営した。


 


真蔵院には胤盛の母の菩提を追善供養するために作らせた7基の板碑のうちの1基がある。


建立したのは、永仁元年(1293)武石氏を継いだ武石三郎胤晴と言われる。


この板碑は見たところだいぶ風化が進んでいる。


 


 


羽衣神社は、真蔵院の境内裏山に石碑だけが存在している。


この場所の下にあったとされる池に舞い降りたとされ、羽衣を奪われた天女から生まれたのが千葉氏の祖と言われている。