かの戦争責任も、連合軍の東京裁判においては戦争犯罪人の判決を受けたが、日本で裁判を行ったら、戦争責任の罪状を受ける犯罪人はいないだろうと容易に想像される。
高度経済成長期にあってはそれは別段問題視するようなものでなかった。むしろ要らない口出しをして状況を悪くすることは絶対に避けなければならなかった。
このような状態は長くは続かず、意思をもたない成長は行き先を誤り迷走して行く。
日本で開発した製品を見ても、このような判断が支配していることが解る。いい例が「ガラケイ」なんでも取り込んで最終的には何に使用するものかわかりにくいモンスターになった。
付け足すことはチャレンジだと思う反面、使い方を見据えて、要らないを省くことは大いなる決断が必要になる。
日本はチャレンジが好きなのか。日本人の性格に合っているのか。
日本市場がこのような製品で溢れていると海外製品の入り込む余地がなくなると思われる。
競争原理が狭小の範囲に留まったためにガラケイとなった。
結局、このツケはユーザが負う。使いもしない壊れやすい製品を押しつけられることになる。
間もなくユーザーにとっては幸いなことにスマホが入ってきた。この業界に新風が吹き荒れた。
まさにこれがイノベーション!
当時、「お財布、ワンセグがないスマホが日本に定着するはずがない」と豪語していたキャリアもあったが、いまや全キャリアでiPhoneを扱っている。
かつては携帯電話のメーカーは多数あったが、大キャリアの指示に盲目的に従って設計してきた製品は気が付いたら競争力がなく、次々と合併、事業譲渡、撤退を余儀なくされた。この事態を招いたキャリアにも若干の責任があると思われるがどうだろうか。
このように敗退してもなお「スマホに使われている高性能部品の多くが日本製だ。このような部品に関しては日本は絶対的に強い」のだと言うメディアもあるが、このような製造技術は間もなく新興国に追いつかれるとは思わないのだろうか。
変なプライドを捨て、冷静に日本の未来を語る本物のリーダーがでないものかな。