- 雑感
技術やインフラも同じような考え方により生成されてきた。
でも、皆が同じような経路を経て現在に至ったわけではない。
良く例えられるが、「固定電話」と「携帯電話」がある。
新興国が電話の導入を考えたとき、どちらのインフラを敷設するかは自明の理だ。歴史を踏んで、メタルケーブルを埋設したりはしないだろう。このように技術を取り込むときに、その時点で一番合理的な技術を選択するのが一般的だろう。
しかし歴史を踏んで一歩ずつ積み上げてきたものと、あるときから突然取り込んだものとでは、見かけは一緒でも何か差が出ても不思議ではない。
地盤を創っていないところに未来を創造する力は生まれにくいのが現実だ。
日本の民主主義も民衆が戦いの末、勝ち取った権利ではないから理念の核の部分で常にふらついているように見えたりする。
自動車の生産でも世界的には日本は後発だ。
電器製品でも同じ。
コンピュータもそうかも知れない。
携帯電話では世界を見る目がなかった。
歴史の積み重ねの中で容易にぶれないコンセプトを創造できるかどうか、技術の必然の強さと将来像が創れないといけない。
この未来像を共有できないところに大きな問題を発生させる。正にいまの日本そのものではないかと思う今日この頃である。
日本はそこそこ歴史もあるが、それを大切にすることができなかったし、場当たり的に変えること、捨てることでしか新しい価値を創れなかった。
決して良いやり方だとは思えない。