としまえん・カルーセルエルドラド思い出 [雑感]
その当時から、多くはとしまえんへ行く人の乗車が多かったのだろう。
肝心のとしまえんの思い出は、流れるプールができたということで、それを見に行くための遠足でそのプールを見にいったことと、(ところが、流れるプールができたのが1965年とあったので、数値が合わない。プールを見たことは記憶しているので、それが流れるプールではなかったようだ)それ以前にもウォーターシュートで水面に落ちた時に船首にいるお兄さんがジャンプするっていうのをかすかに頭の奥底に感じたりする。
時間が飛んで、2010年になっておじさん3人でとしまえんに出かけた。
一般的には、おじさんが連れ立って行くようなところではないだろうが、それは楽しいところだった。
なかでも、カルーセルエルドラド(メリーゴーランド)は見ているだけでも嬉しい気持ちに浸れる素晴らしいものだ。
このカルーセルエルドラドは、1907年のドイツで製作・完成されたもの。100年以上の敵視が刻まれている。
同年にドイツのミュンヘンで開催された「オクトーバーフェスト」においてデビューした。
1964年の遊園地の閉園後解体されて倉庫に保管されていましたが、1969年にニューヨークから日本に運ばれました。1971年4月3日から稼働を開始したということです。
2010年カルーセルエルドラドを楽しんだ当時、まさかとしまえんが閉園になってしまうなど、夢にも思わなかった。もっと瞼に焼きつくほどじっくりと観察してくればよかった。
としまえんは、盛んにテレビなで取り上げられたが、2020年8月31日に惜しまれながら閉園した。
高齢者講習を受講 [雑感]
高齢者講習を受講
そこには、免許証の更新時期が満70歳以上の方は、更新手続きの前に「高齢者受講」を受けなければ、免許証の更新ができません。って書いてある。
講習を受けるには、該当の自動車教習所で予約して受講する必要がある。
受講可能な教習所、これが少なくて?千葉県内の受講可能な教習所が60に満たない。
最寄りの教習所へ電話するもおいらの免許証更新の期限内には予約が満席で受講できませんって断られた。
あちゃ。手当たり次第電話で確認しないといけないの。めんどくさっ。
その教習場で幸いにも空いてそうな教習所を教えてくれた。
おかげさまで、予約が取れた。
小湊鉄道がグッドデザイン賞 [雑感]
前記事に続いて新聞記事のネタ。
千葉市のコミュニティーセンターってとこで、新聞を見ていたら千葉版に小湊鉄道って明朝体の大見出しが目に飛び込んできた。
「小湊鉄道にグッドデザイン賞」
おいらの前職はプロダクトデザインを長年担当してきた。
グッドデザイン賞の前身は戦後の輸出振興の位置付けで、一つは品質向上、もう一方が洗練されたデザイン。
そんなことから、対象が工業製品がメインだった時期が長く続いた。
もちろん、おいらも(というか所属していた会社が)何回かグッドデザイン賞への応募にチャレンジしたが、自分が担当した製品が受賞することはなかった。
デザインは一般人とちょっと違う芸術家ぶった変な格好の若者が担当して、(偏屈で扱いにくいのがデザイナーっていうのが定説化していたのかも)いわゆる格好いいものを生み出すものとの誤解もあるが、グッドデザイン賞の審査はもちろん、スタイリングも重要な要素であることは間違いないが、オリジナリティーや機能、使い勝手、堅牢などなどの審査もある。
グッドデザイン賞はいつの日か、いわゆるハードウエアだけでなく、ソフトウエアとかゲームとか、サービスなどにも範囲が拡大されてきた。
小湊鉄道の今回の受賞はサービス、環境の整備、それらを合わせた社の戦略などが受賞の理由になったと思われる。
なんと素晴らしい判断だろうか。
いつの日か小湊鉄道の沿線風景に溶け込む各駅舎や蒸気機関を模した(とは思えないほどの本物感がある)ディーゼル機関車が牽引する里山トロッコ列車を、さらに五井駅に保存されているというかつてこの鉄道で運行されていたという蒸気機関車などを見にいきたいと思っているんだが未だに実現できていない。
これを機に、計画をしてみよう。
久しぶりに旧友に再会 [雑感]
おいらの世代になると、また会いましょうで、次に会う機会が訪れるとも限らない。
実際に旅立った友も少なくないし、病気や怪我で遠慮するなんてこともなくはない。
先月だったか、思いかけずも「クラス会」のお誘いがあった。
卒業して曲がりなりにも一社会人になって、あっという間に50年だって。
半世紀だよ。
半世紀なんていうと気が遠くなるほどの時間に感じるが、実際はどうだったかなど考える暇もなかったかもしれない。
こんな長い時間のほんの短時間だけ、一緒に同じテーマの勉強をしてきた友だ。
いくら時間があったってとても全ては語りつくせないし、分かり合えることはないが、会って話し合いたい。
てな具合で、梅雨明けしたものの以来すっと曇天続きで、怪しい空の下、池袋まで出かけた。
家電量販店も景気後退で色々工夫を凝らして客集めに奔走しているのか、入り口でウルトラマンのサポートを乞うて、何やら騒がしい。
約束の時間までの間ちょっと早かったので、パソコンフロアやカメラフロアで時間を調整してから会場となっている居酒屋へ。
顔を見ると面影があるので、名前がわかる者もいれば、言われるまでわからない者など。何れにしても街ですれ違っても多分わからないだろう。
隣の部屋は大いに盛り上がって、漏れてくる音声がうるさいぐらい。しかもタバコ臭い。
こちらの部屋は、とても静かで、幸いにもタバコを吸う者もいない。
健康志向をかなり意識しているんだろううか。
酒の量も少なく感じるけど、こちらは、帰りのことを配慮しているんだろうか。
皆、とても元気で何よりでした。
また、次の機会まで元気でね。
子供の頃の体験 縄文土器 [雑感]
半世紀以上にもなるあまりに昔のことで、記憶も薄れ、現実と想像との境界も曖昧になってきた。
おいらが、加曽利貝塚に行った折に見かけた土器を作る集団を見かけた時に、心を惹きつけられたのは、この当時の体験が大きな要因になっていると思っているんだろうと疑わない。
小学校の高学年になった頃だろうか、その頃は地元の小学校ではなくて、越境編入して3年生から電車通学していたので、いわゆる地元の幼友達っていうのも少なかったと思う、と言っても下校してからの遊び場は地元の大泉学園(西武池袋線)の周辺になる。
休みの日はちょっと遠出して自転車を駆って白子川。
急な坂を転がり降りると、白子川にかかる橋があって、そこから下流に土手沿いに行くと、右側に東映大泉撮影所が見えてくる。
さらにちょっと行くと丘があって雑木林があった。
この雑木林は豊かな自然の富をおいら達に惜しむことなく与えてくれた。
時には自然の恵みでない畑のサツマイモなどもちょっと失敬して生でかじったりした。
春の記憶はないが、夏はカブトムシ、クワガタ、セミなどを両手て持てないほど採れた。秋は山栗などをとって渋皮をとって生で頬張ったっけ。
冬は、爆弾が落ちたと言われるすり鉢状の南斜面に寝転がると、背中の砂が暖かい、そんな心癒される空間もあった。
こんな「子供の楽園」も幼友達を中心に代々情報伝承されたきたんだろう。
しかし、伝承もおいらの世代を最後に次の世代に伝える必要がなくなった。
宅地開発が入ってたくさんの宅地ができた。
都議会定例会議 一般傍聴 [雑感]
おいらは多分、東京の生まれ。東京都でなく、東京府という名だったのかもしれない。
ずっと東京にいて、社会人になって住民税(都税)も納付していた。
だから故郷?っていう場所かもしれない。
田舎というものを持たなかった小学生の頃のおいらは、夏休みには田舎のおじいさん、おばあさんのところに行って、珍しい体験をしたり、希少な昆虫を採集したり、何よりも真っ黒に健康的に日焼けしてくるのが、なぜか羨ましくもあり希望してもかなわない、何か壁のような存在を感じたものだった。
ちょっと逸れたが、そんなわけで東京から離れた今だって東京には関心がある。
ここ最近、都知事の話題でテレビなどでコレでもかって報じられているが、「知事も知事で何とかかわしながら逃げ切りたい」対「庶民感覚からはこのせこい隠し事は看過できない」という相容れない対決で結論が出そうにない。
知事も過去には、小さなことでも不正を積み上げていけば政界は腐るし、何よりも信頼を失う。ひいては代議員制度の崩壊だって可能性がなくもない。
都民の信頼の上に成り立つ都政が信頼なくしてやっていけるとも思えない。
過去の過ちを返金するや改心する、寄付するなどの反省の弁を使っても、信頼を回復できるとも思えない。
それで、おいらは都民ではないものの都議会傍聴に出かけてきた。
6月7日の代表質問だ。
テレビなどの取材陣のクルーがたむろしている中、初めての都庁も訪問。
入館するには、登録が必要でカードに記載して警備の人に渡すと首から下げるカードをもらって入館できる。(登録は議事堂と本庁は別々になっている)
議事堂の2階に本日の傍聴券(190席分で先着順に一人一枚を配布)を発行する待合場所がある。
12時からの配布だが、10時頃に行った時は7人ほどが並んでいた。
取材陣がカメラを向ける中で、傍聴券などの配布が12時から始まった。
これだけ並んでいるんだから、ちょっと早めに配布しますっていう配慮はないんだなぁ。
いろいろ事情があるんだろうからね。
それで、12時30分に7階の会議場が開場するので、すぐに傍聴券に名前など必要項目を記入して7階に移動。
1時から会議が開始され、自民党会派の議員から質問が1時間ちかくあり、ついで知事が質問の答える。
前日の知事が第三者という弁護士との共同記者会見の時と違わない回答であり、質問の趣旨を汲んで誠意ある回答をしているようには見えない。
食事する時間がなく、空腹に耐えられずに途中退席して、本庁内にあるという職員食堂へ移動。
午後2時を過ぎてしまって、いくつもあるコーナーはほとんど片付けが始まって閉店状態。
やっと、カレーと麺だけありますってところ見つけて、遅めのランチ。
それから展望室に行って、梅雨空の中でしっとりした都心の風景を眺めてきた。
それにしても、淀橋浄水場の跡地に立体交差の真っ直ぐで広い道路、見上げると首を捻挫してしまいそうな京王プラザホテル、真っ直ぐに新宿駅西口前に伸びた地下道がこの一角にできた時、新しい未来が見えたような気になったのは、嘘ではない。
今、それらを上から眺めても当時の雰囲気を汲むことは難しいほどの変わってしまった。
懐かしむことは難しいけど、これが常に成長していく新宿なのかもしれない。
むかしの仲間とお酒を楽しむ [雑感]
いつも突然なんです。電話が鳴った。おいらの携帯電話は家族からしか着信のないのに、電話のディスプレーに懐かしい名前が。
現役のころ彼とは仕事で関係が続いた。
そればかりか、釣りなどで腕を競ったり(もちろんおいらの負け)釣りで福島、新潟の渓流に入ったりした。
その彼もSNSだとかで忙しく動き回っているのを知っているので、まさかお誘いがあるなんて。
意外だったが飲みに行こうとのお誘いだった。
隠居してから、ずいぶん長い時間が流れ去った。
仕事をしている時は、社会との関わりが今現在のものと明らかに異なる。
緊張感、駆け引き、先を読む、人を見る、そして何より大事な創作活動などいい悪いは置いといても、強要されたり、自発的に行動したりしてきた。
それが、組織の中にあって貢献する手段だと信じてきた。
だから、電話してくれた彼との関係もそんなことかもしれない。
違うかもしれない。
往時の微妙な感覚は100パーセント思い出せない。
時間と環境はどんどん流れている。
それで、記憶の渦から消え去っていく。
彼と、職場でおいらと共に仕事していた二人が来てくれるという。
嬉しいね。忘れ去られるおいらを思い出してくれて、ありがとう。
約束の待ち合わせ場所に向かった。
移動途中の海浜幕張のホテルスプリングスにあった河津桜はもう咲いているだろうか。
そう思いながら、カメラを持参した。
桜は満開だった。
懐かしい二人に会えると思うと心が明るくなった。
お二人とも、どうもありがとうございました。
社会秩序は是か非か [雑感]
これは、おいらにとって印象的コトがあった後に車中で書きとめたメモをもとに作成したものです。(あるきっかけがあるまで、記事として掲載することをすっかり忘れていまいた)
10月下旬のある日、久しぶりの電車の利用で乗車のときのスケッチ。(絵でも写真でもありません)
電車がホームに入線してドアが開くと車内のドアからちょっと離れたところの兄ちゃんが、ドアオープンに対して遅れ気味にワンテンポ タイミングをずらして降りようとした。
それに気づかずにおいらと一緒のホームの乗車位置で、先ほどから電話に夢中になっていたサラリーマン風おじさんが、ドアが開くやいなや、いち早く乗り込んだモンだから、降り際のすれ違いざまに先ほどの兄ちゃんは最上級の嫌顏で、何という動名詞が適切かわからないが舌打ちして来た。
その瞬間はサラリーマン風おじさんは通り過ぎていたので、結果として、その最上級の嫌顔と舌打ちを投げかけられたのは、その兄ちゃんが降りるのを待ってホームにいたおいらに向けられたカタチになった。
当然、通常の感性でいうと侮蔑のようで不快だった。
日本の文化はパクリに根ざしているのか [雑感]
門松っていろいろあるんだ [雑感]
ウィキペディアによれば
神さまが宿ると思われてきた常盤木の 中でも、松は「祀る」につながる樹木であることや、古来の中国でも生命力、不老長寿、繁栄の象徴とされてきたことなどもあり、日本でも松をおめでたい樹と して、正月の門松に飾る習慣となって根付いていった。
はじめてのモーターバイク [雑感]
で、モーターバイク(当時はオートバイって言っていた)にはじめて接したのは中学2年のころだと記憶している。(もちろん免許証をとるまでの年齢以下で無免許ってやつだ)
方向音痴もたまにはいいかも [雑感]
ハイレゾ・オーディオ考 [雑感]
ライト・フライヤー号 [雑感]
夏は暑い? [雑感]
昭和の夏はいまほど暑くはなかった。おいらの育った東京練馬でも32℃を超える気温は多くはなかったと思う。いまや練馬は天気予報では23区で有名な高温の地域として名をなしている。
夕立があると気温は下がったし、日がかげり夜になると涼しくなることも多かったのではないかと思う。