昭和の夏はいまほど暑くはなかった。おいらの育った東京練馬でも32℃を超える気温は多くはなかったと思う。いまや練馬は天気予報では23区で有名な高温の地域として名をなしている。
夕立があると気温は下がったし、日がかげり夜になると涼しくなることも多かったのではないかと思う。
気候が明らかに変わったかのような変化は何か原因があるに違いない。
全地球的規模で温暖化が進んでいると言われるが、それ以外にむかしの環境と比べると、木や草の茂る空き地の減少。木造住宅から蓄熱しやすいコンクリート建築材の増加。土の露出した場所の減少(特に道路などは細い脇道も含めほとんど舗装された)。廃熱の発生源の自動車、エアコンなどの増加。風の通り道に障害となる高層建築の増加などなど。いま思いつくまま記しても多数ある。
また、暑い夏を気持ちだけでも涼しく過ごす工夫も生活習慣が変わって、実質優先「暑ければエアコンを使えばいいじゃん」っていうように変わった。
むかし、蚊帳の中から開け放った雨戸を通して、真っ黒い夜空の稲光を「美しいな」と思いながら、観賞していたのをいまでも思い出す。蚊帳の中には落雷しないとして安心して見ていられたし、あの美しい雷さんを怖い存在としてはとても思えなかった。
ちょっと離れたところにある遊び場は小川にわき水がわき出していたので、その場で足を浸けるだけで全身に冷たさが伝わった。それでも足りなければ着衣のまま川の中に身を委ねるだけでいい。
ついでにその水で喉の渇きを癒す。
カブトムシ取りで早朝起き出して雑木林に入ると、下草は朝露に濡れ、足も靴もすぐぐずぐずになった。早朝の林の中はとても涼しい。
こうした視覚的、肌感覚の涼体験はいまやすごい贅沢ではないだろうか。都会でこの体験は難しく、一部の田舎の環境で体験できるものではないだろうか。
こういう貴重な体験ができる環境は温暖化を少しでも遅くできる工夫の一つではないだろうか。広域でこのような計画実践が実現しないかなぁ。