鉄道第一連隊演習所名残り
 
大賀ハスを観るため訪れた千葉公園。
JR千葉駅から徒歩でいくと、南門からの入園になる。入るとすぐに通路の右側に上記の説明板が現れる。
実は昨年の同じ時期に同じコースで訪れたので、この説明板の存在は知っていたが、じっくり読む余裕がなかったんだ。せっかく朝早めに到着したのにハス池に直行ということで。
 
 
この説明板には次のように記されていた
 
<鉄道第一連隊演習所跡
Remains of Maneuvering Ground for Railroad No.1
旧陸軍鉄道連隊が明治41年(1908)、旧千葉町都賀村(現椿森)と津田沼町に設置され、大正7年(1918)の改編により千葉町に鉄道第一連隊、津田沼町に第二連隊が設置された。
鉄道第一連隊演習所は、現在の千葉公園の綿打池付近から競輪場一帯で、池の対岸に架橋演習に使用したコンクリート製の橋脚や、ここから北西約150mのところにトンネル工事演習に使用したコンクリート製のドームがあり、昔日の面影を残している。

The remains extend throughout the present Chiba Park.
Still remaining in the Park are the concrete bridge piers used for bridge-building exercises and the concrete dome used for tunnel excavation exercises.

平成2年3月
千葉市教育委員会>
 
 
 
また、千葉市のサイトの「千葉公園のあらまし」では。次のように説明されています。
 

<明治41年(1908年)、旧陸軍はここに鉄道連隊を設けました。

その後、大正7年10月(1918年)、津田沼に鉄道第二連隊ができるとともに名称が鉄道第一連隊と変わりました。

鉄道第一連隊の兵士たちは、この辺一帯の演習作業場で、鉄道の保守、新設、修理をはじめ、敵地での鉄道の破壊訓練を行っていました。

現在でもその名残りとして公園事務所脇のコンクリート造りトンネルや荒木山周囲に橋脚などがあり、当時の面影を伝えています。


終戦後の混乱期には、園内にある樹木のほとんどは切り倒されて燃料になってしまったり、敷地の一部は食糧難を補うための菜園にされたりしたそうです。
 
その後、市民の憩いの場、県都にふさわしい公園とするため、昭和21(1946)年6月に千葉戦災復興都市計画に基づき本市初の総合公園として整備することが決定されました。
 
昭和24年(1949年)から公園整備にとりかかり、順次、施設を整えてきた結果、昭和40年頃ほぼ現在の形になりました。>
 
 
それで、観蓮のあとで名残りとやらを見て回った。