オリジナルの藁葺き屋根は、その姿はなく金属板で覆われてる










藁葺きの職人がいないことと葺き替えには莫大な経費がかかるという

ことによるようだが、こうして見ると金属製の屋根だけが浮いている


























旧大須賀家住宅 in 加曽利貝塚公園



























 







 出かけるには、とても良い季節が巡ってきた。出かけるたびに撮影写真のストックは多くなったが、そっちの方に一所懸命で、ブログの更新がおろそかになってしまった。


 


加曽利貝塚公園の博物館のさらに奥、足元が小砂利で坂を下って行かないといけないため、ここまで来る人は多くはない。


縄文時代に集落があったとの証としての貝塚だというのに、ちょっと場違いとも思える江戸期の大きな屋敷がある。


 


住宅前の説明板を見ると、


<旧大須賀家住宅


元幕張町にあった大須賀家の住宅。昭和43年千葉氏に寄贈され、民俗資料として保存のため、ここに移築した。


江戸時代、幕張町は天領に属し、北町奉行配下にあり、大須賀家はその代官所にあてられ、俗称「北の代官所」と呼ばれていたという。


この屋敷は、寛保〜寛延年間(1741〜1750)の建造と思われ、一部に近年の改造の跡が見られる。奥の間は比較的よく旧態を残し、武家風の書院造で、床の間や違棚などに、その特徴が見られる。


千葉私立加曽利貝塚博物館>


 


幕張町からの移築って、幕張町のどこにあったのか調べて見ると、意外に簡単に見つかった。


子守神社神社の秋の例祭で神輿が行き来するところの幕張町3丁目公園が跡地だという。


意外なところにあった。


 


公園に石碑があって確かに大須賀家住宅跡地だと確認できた。


 


二つの情報が繋がった。


気にかかっていたものが得心できてよかった。