- 雑感
結局のところ、この社会の最重要と考えられているのは、「和」であって、それを壊すような責任追及や改革は意に沿わない。
「和」が個人を殺して、集団に属することを優先するのだとすると、間違っていると言えるが、少なくともそう言う傾向が強いことは否めまい。
「和」が脱個性で賢い生き方になり、オリジナリティーを消し去って大衆に埋没する。
ここからはクリエイティブな発想なんかは生まれない。
だからパクリとは短絡的だが、そういうベクトルは強くなるのではないだろうか。
それでも、クローズドな社会だったころは良かったのかも知れない。
それが、ボーダレスなどの言葉が社会に定着してくるころになると、その思想は壊れた。
アイデンティティーやオリジナリティーなんて外来語はこの社会に正しく定着しないのか。
建前としてこのような単語を前面に押し出している企業もあるが、果たして企業が目指す地点がそれにあるというのだろうか。
いま、経済的に苦しんでいる遠因はこんなことかも知れない。
狭い話になってしまうが、サイクロン掃除機が成功しなければあの方式の掃除機が日本の家電メーカーから商品化されただろうか。ロボット型掃除機が評判にならなかったら、どうだろう。
自動車のデザインは、もちろん販売不振の国内にターゲットがないのは承知しているが、中国や東南アジアの人たちは無個性を尊重しているのか不明だが、オリジナリティーに乏しい。
パソコンやスマホでもアップル社のそれがシェアを伸ばし、デザイン評価が高まると、国内メーカーから同じような外観をもつものがでてきた。
テレビ番組だって視聴率向上や話題性などで同じような番組が氾濫する。
中国製のコピー商品が世界的に批判があがっているが、それらと違って特許などの権利を巧みに回避しているそれらの製品は、大きな問題にならないかも知れない。
だが、根本にある考え方は一緒じゃないのか。
歴史、文化を大切に継承していく考え方より、壊して作り替えることを重んじてきた。
これはイノベーションとは違う。
「いいものをばらばらにして一点ずつを再検討して、組み上げる」かつての日本の得意手法だった。
これは完全なコピー(パクリ)とは言わないかもしれないが、近い。
いいものの「いい」という部分は飛ばして、部品として見てきた。
見えない部分は見ない。
出来上がったものが最高なものと勘違いする。
次に向かう行き先も目標もそこからは生まれない。
私たち仮面をかぶった日本人って、いったい何者なんだろうか。
そのもの自体(精神)がパクリなのか。