縄文の人気にあらためて驚かされた 「特別展 縄文」



























 








 暑い夏もさすがに9月末にもなると涼しくなってきた。

これは、9月2日で終了してしまった「特別展 縄文 一万年の美の鼓動」の話。


この夏に熱中症になった一人として、出先で再発したらと思うと少しでも涼しい陽気を選びたい。って微かな希望を抱きつつも終了までのカウントダウンが始まった8月末にもなると、行くタイミングを逃してしまうようで焦ってきた。


暑い中にあっても比較的涼しい?水曜日の日に出かけた。

そんなことを考えていた人が多かったのか、会場である東京国立博物館に近ずくに連れて、異様な行列が目に入ってきた。
これまで、テレビなどでこの特別展を意識した番組を見たことがあったが、これほどまで話題になっていようとは思ってもみなかった。

チケット売り場から行列の最後尾は見えない。会場内でたくさん歩くことになるので、あまり歩きたくはないが仕方ないか。
200mほど先の最後尾に並んだ。

つぎから次へと行列を目指して人がやってくる。行列はさらに伸びる。

でも、幸いなことに意外と早くチケットを購入できた。

ここで、目的達成したような錯覚を覚える充実感があったが。。。

平成館の会場は予想通りの大混雑。
いつも思うんだけど、入口を入ってすぐの大きなパネルの前がいつも混雑している。
実物を見ることを最大の目的にしているおいらには理解不能の異様な光景。

一箇所、撮影可能エリア以外は撮影ご法度。と言っても近寄れないほどなので物理的に無理だけど。

午前中は足早に一巡してチケットに再入場の目印スタンプ押してもらって、夕方には少しは空くだろうと楽観して他の展示エリアを散策。


遅い食事をとって、再入場。

全然空いていないじゃん。

諦めてゆっくり並んで、そして展示物の前で止まることなくダラダラと進む。

なんか疲れてきたので、帰りの電車がラッシュアワーになる前に帰途についた。

しかし、歴史的な美術品を見るたびに思うことがある。 美に対する執念や技巧は、現代の方が圧倒的に退化しているように見える。

縄文土器、土偶は工芸職人が丹精込めて作っていたかもしれないが、豊かな発想と土に入れ込む執念が圧倒させる力を発信している。


とても参考になった。頭でわかっても腕がついていけそうにないけど。