マイ ファースト コンピューター [パソコン]
マイ ファースト コンピューター
おいらが最初にコンピューターって言葉を聞いたとき、職業人(たとえばティーチャーとかドクターとか)を指す固有名詞だと思った。でもそれは人?そのものだった。(当時はそう思った)
そういう印象を持ったコンピューターは、大規模な高価格なものだった。(当時パソコンなんていうジャンルのコンピューターはなかった)
しばらく間をおいて、マイコンとかパソコンって言葉が聞こえるようになった。(パソコンってPersonal Computer の略だと思うけど日本語 米国ではPersonal Computerなんて言い方はしないらしい。単にPC。一方でMacはPCではないという考えもあるようです)
秋葉原はまだ、オーディオ製品が全盛の時代だったが、それでも店舗の最上階の隅の方で電子音を聞くようになった。
ガラスケースの中にはマザーボードが鎮座していたが、おいらには全く興味を引くものではなかった。(一部のマニアには垂涎の対象だったのだろうか)
なんせ、オーディオメーカーで仕事していたから。
こんなゲーム用のマイコンが、仕事のツールとしての地位を徐々に拡大していくところを観てきた。
サラリーマンとしての勤め先がコンピューターのメーカーに変わっていたから。
門前の小僧になるために色々興味をもって接してきた。
当時のコンピューター(たぶんこの頃はパソコンとか言ってたかも)は、モニターに黒い画面に白、青、赤などの文字で、その文字は同じ文字を扱う印刷物などとは比べようもない、醜いものだった。
当時のスクリーンフォントは8×8ビットだったかも。その後16ビットか24ビットになったと思う。
そんな時、米国からMacintoshって小さなプラスチックケースのコンピューターがサンプルとして送られてきた。
おいらの興味はその外観の美しさ、画面とそのGUIというオペレーション方法の革新性に釘付けになった。
初めて、ソフトウエア、オペレーティングシステムを意識した瞬間だったかも。
ちなみに、このMacintoshの最初のモデルは1984年1月24日が誕生日らしい。
上記のMacintoshに出会ったのは1984か1985年だと思う。(35年も前って信じられん)
その後、職場に多数のMS-DOSのスタンドアローンのパソコンが入ってきたけど、おいらが担当する設計やデザインの分野で活躍できるものではなかった。
ほとんど、一太郎っていうワープロソフトで文章を作ってプリントする作業に使用したと思う。(ネットにも接続してないので、メールとかでなくてほとんど紙に出力)
パソコンのハードウエアの進歩は日進月歩でそれに伴ってOperatingSystemも進歩して、いつの日か設計やデザインの分野でも使えるものが出てきた。
グラフィック関係のデザイン分野では、MacintoshがDTPの分野で先行していた。
そんなことでMacintoshが職場に入ってきた。
必然的に、この魅力的なパソコンはみんなの注目のマトだった。それで中には個人で購入する人が出てきた。
おいらもその一人。
長い前置きはこのくらいにして、
これが、 おいらの「マイ ファースト コンピューター」。
メモリーが4MB HDD 40MB クロックが16MHzだった。
このスペック、今でこそ非力なものだけど素晴らしいものだった。その分高価だった。
当時のMacintoshは本体にマウスが付属していたが、キーボードは別売だった。
キーボードが色々なタイプから選択できるということだろうが。そんなのアリかよ。
1991年ごろだった。
おいらは、今でもMacを使っている。(もちろん最初に買った Mcintosh ⅡCX じゃない)
いつ頃からかMacintoshはMacに名称が変わっていた。
30年間もたくさんのこととともに、デジタル生活を送ってきたが、いつもかたわらにMacがいた。
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昔の撮影フィルムをデジタル化した [パソコン]
かつてバラバラの存在だったデータをデジタル化することで、パソコン上で管理や鑑賞などできるようになった。
でも、ちょっと前まで、HDDなどのストレージの価格が高く、容易にたくさんのデータを保存することが躊躇された。
デジタル化に向けておいらの長期的計画としては、レコードやカセットテープ、8ミリフィルムムビー、それに35ミリフィルム。
レコードはレコードプレヤーが壊れたので諦めかけていたところ、最近デジタル化を目的としてレコードプレーヤーが次々とリリースされてきた。(等倍速での変換は途方もない時間を要するし・・・)
嬉しいけれど、最近熱が冷めた。
手っ取り早いのが、35ミリフィルムのデジタル化。
以前にフラットベッドスキャナーでフィルムを取り込めるものも使ったが、これはとても面倒だし、スキャンに長時間を要した。(そのうちOSの更新でメーカーのドライバーソフトが対応しなくなって使えなくなった)
専用のフィルムスキャナーも会社の上司から借りて使ったこともあったけど、結構時間がかかった。
さらに、最近になって知人から高性能フラットベッドスキャナーを譲ってもらったが、どうもうまく動かなかった。
そんなことなどから、35ミリフィルムのデジタル化はいろいろ試したが、結局のところ画像品質はそこそこでも簡単にできないものかという気になってきた。
そんな経緯で低価格の魅力からサンワサプライ社製 FILM SCANNER 400-SCN006を購入した。
あっけないほど、軽くて小さい本体で期待半分で使い始めたが、使い勝手も読み込み速度も不満を感じることはなかった。
肝心の画質は画像エンジンで適度に露出補正、カラー補正、コントラスト、ごみ取りなどをしていると思われ、おいら的にはこの程度で十分だ。
残念なのはキャプチャウィンドウで見る画像がネガのままでしかモニターできなかったこと(おいらの環境=iMac Late 2012 OS X El Captan Ver.10.11.6 バンドルソフト=MediaImpression 2 Ver.2.1.84.1200)
関東地方も梅雨が明けて、本格的な夏空も拝めたけれど、フラフラとウロつくことも危険なので、しばらくは室内で、ネガフィルムを引っ張り出して昔を懐かしもうかな。
ところで、デジタル化した写真は小海線(清里ー野辺山)で撮影したもの。
その当時は野菜を生(なま)でいただく習慣は少なかったと記憶している。
当時を振り返っても野菜サラダなんて食べた記憶がない。
この頃、レタスって葉物野菜を知った。
今や野菜サラダに欠かすことのできないレタスは、当時からこの小海線沿線でたくさん栽培さてていた。
この新鮮野菜を速やかに消費地へ運ぶのに、小海線が利用されていた。
大きな密閉型のコンテナに高原野菜のレタスを詰め込んで、小淵沢までC56型蒸気機関車(後部補機付き)が往復していた。
レタスを食べ始めたのは、その後すぐだったかもしれない。
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初めてのコンピューター [パソコン]
初めてコンピューターという語彙を聞いた。1965年頃だったか。
このとき、コンピューターって何だという問いがあった。ティーチャーやドクターと同じように人の職業を表すもの。というのが私の出した結論だったが見事に不正解 !!XX??。
パソコンの功罪 [パソコン]
私が最初に見たパソコンと言えば、理系大学の研究室にあったラックマウント型のミニコンと同じ部屋の机上にあったソードのパソコンだった。何のためのものなのか理解できなかったが、それだけですばらしい可能性を感じたものだ。
同じ時期に秋葉原のショップの最上階の隅の方でガラスのショーケース内にあったボード形のマイコンだ。こちらはゲーム用だったのか。人だかりは多数で階下のオーディオ製品(オーディオ製品全盛の時期)とは違う可能性を秘めていた。
パソコンとインターネットと。。。 [パソコン]
会社の関係者が会議室に集合して分解しながら調査するのが目的だった。
このプラスチック製の小さな箱にモニターまで入っているのは当時としては驚異的だった。電源はAC電源のみの対応になるが、筐体上部に手かけが形成され、可搬ということを意識したものだ。これがポータブルの最初のモデルといえるだろう。
筐体は設計思想から分解できないが強引にリアカバーを開けると、小さなマザーボードが露出した。