船橋市 海老川14橋巡りプラス桜 その1 [散歩]
海老川遊歩道にあった案内板をトレースした地図
船橋市 海老川14橋巡りプラス桜 その1
東京湾に注ぎ込む河川の多くは大河で、その水源は関東平野を取り囲む山岳地域にあるというのが、おいらのイメージだったが、この海老川に関していえば、河口こそそれ相応に大きなものだが、全般的には小さな川で河口から上流までの経路は大半が遊歩道が整備されて、ゆっくりと歩いても踏破できる、異例の川かもしれない。
そういえば、最初に自分の一眼レフカメラを手にして(もちろんフィルムカメラ)何をテーマに写真を撮っていこうか色々考えた時期もあったっけ。
何か理屈っぽいけど、当時は「木」と「空と雲」そして「橋」なんかを考えていた。
その後、職場の同僚と出かけた蒸気機関車の追っかけにはまってしまって、ついつい初心を忘れていた。
そんなことがちょっと心の隅の方に残っていたのかもしれない。
船橋という地名も、この海老川(昔は現在の川幅より大きかったと聞いたが。。)橋がかけられず川幅いっぱいに船を浮かべて渡ったという故事からついた名だという。
海老川にかかる橋は、多くがテーマをもって高欄などに装飾的工夫があって楽しめる。
そんなことがわかってから、いつの日にか言ってみたいと思っていた。
4月のはじめの天気の良い日に出かけてみた。
(2回に分けて記事にしていきます)
京成電鉄の「大神宮下駅」を下車して船橋大神宮の参道交差点を左に折れると、すぐに橋が見える。これが最初の海老川に架かる橋「海老川橋」だ。
ここからスタートして最初は上流側へ遊歩道を通って散策していくことにした。
・海老川橋(えびがわはし)
船橋大神宮に近い海老川に架かる。
海老川に架かる橋でもっとも装飾的ではないだろうか。
橋の中央部に下流側を舳先を向けて上流側まで船の形がせり出している。
船橋の地名の由来などが掲示されている。
由来
古い伝説によれば 船橋という地名の起こりは この海老川の渡しに由来する 古代の英雄が東征の途次 此地の海老川を渡ることが出来なかったとき 地元民が小舟を並べて橋の代わりとし 無事向こう岸に送り届けたという
海老川は長く住民に親しまれてきた 春堤に風吹けば花蝶遊び 秋淵に水澄めば魚鱗躍るといった時代を経 近年の都市化の中で浸水被害が繰り返され 流域住民にとって〝恨みの川〟となったが 今 市政五十周年の記念すべき年に当たり 国県の御協力を得 市の総力を結集し河川及び橋梁を改修 〝希望の川〟として蘇ることとなった
昭和六十二年七月二十五日
船橋市長 大橋和夫 撰文
古い伝説によれば 船橋という地名の起こりは この海老川の渡しに由来する 古代の英雄が東征の途次 此地の海老川を渡ることが出来なかったとき 地元民が小舟を並べて橋の代わりとし 無事向こう岸に送り届けたという
海老川は長く住民に親しまれてきた 春堤に風吹けば花蝶遊び 秋淵に水澄めば魚鱗躍るといった時代を経 近年の都市化の中で浸水被害が繰り返され 流域住民にとって〝恨みの川〟となったが 今 市政五十周年の記念すべき年に当たり 国県の御協力を得 市の総力を結集し河川及び橋梁を改修 〝希望の川〟として蘇ることとなった
昭和六十二年七月二十五日
船橋市長 大橋和夫 撰文
長寿の橋とも書かれていて
泉 重千代さんの手形もある
・万代橋(よろずよはし)
高欄のレリーフがなんとも言えずいいね
人をテーマにしたもので、海そして生物の姿をメルヘンタッチで彫像化している
・栄橋(さかえはし)
「手のひらを太陽に」の歌碑とブロンズ像、音符が橋の中央部にある
・丸山橋(まるやまはし)
ボランティア精神をイメージして作られ、ボランティアキャラクター「さざんかさっちゃん」の像が立っている
・九重橋(ここのえはし)
太宰治の肖像と「走れメロス」の一節を刻んだレリーフがある。太宰治は昭和10年から1年3ヶ月あまり此の地で過ごした。
・無名の橋
金属類が盗難にあうというニュースも記憶に新しいが、盗られちゃったのか、くぼみはあるが銘板がない。
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この辺 面白いですよね(^^)
by (。・_・。)2k (2016-05-17 15:11)
(。・_・。)2k さま
いつもありがとうございます。
おっしゃる通り楽しめる場所だと思いました。
by DANKAI_Gen (2016-05-17 16:36)
暁烏 英(あけがらす ひで) さま
いつもありがとうございます。
ご説明にあったようなことがあるとは思いもしませんでした。丸山橋はほかの橋に比べて比較的新しい橋で、平成2年12月完成とありました。
古くからある橋を架け替えたのか、新造したものにお近くに住んでおられた偉人の名をつけたのかでしょうか。
船橋は古くからの歴史ある町なので、今後とも注目していきたいと思います。
by DANKAI_Gen (2016-05-29 16:17)
海老川14橋のご紹介ありがとうございます。このなかのひとつ丸山橋は、家内の父の叔父丸山留吉の名字をとったものです。今はありませんがこの橋を渡ったところに船橋の名家と言われた丸山家があったんです。留吉翁は、金属ボタンの製造で財を成し、船橋市で第一号の民間事業所(会社)でした。のちに県会議員を務めました。船橋の消防署を作ったのもかれで今も市役所前の消防署玄関わきに銅像があります。篤志家として船橋市に貢献ししたために橋の名をつけたようです。子供がいなかったため家内の兄が夫婦養子で跡を継ぎましたが、その兄も今は故人です。
by 暁烏 英(あけがらす ひで) (2016-05-29 22:52)
丸山橋は付け替えです。ここは大雨が降ると必ず浸水する場所でした。
義兄もボランティア精神旺盛の篤志家でしたから、この像が建ったようです。
by 暁烏 英(あけがらす ひで) (2016-05-29 22:57)