「土器製作研究の始まりー新井司郎の土器づくり」 加曽利貝塚博物館企画展 [加曽利貝塚]
今では、加曽利貝塚土器づくり同好会のように土器づくりを楽しむ、あるいは研究している同好会のようなグループは各地にあるようだ。
そんな中で加曽利貝塚土器づくり同好会は老舗中の老舗だと言う。
それは、新井士郎氏の活動を抜きに語ることができない。
当時、縄文土器と言うのは貝塚などから破片を採取し、形状形式、縄文のつけ多々などから、歴史を検証する学術的研究の資料だったようだ。
新井氏はそんな中にあって、実際に土器づくりを実験的に行うことを通して、粘土の調整、成形の方法、乾燥、焼成の温度などだけでなく、土器を実際に使用することによって縄文期の生活などを掘り起こそうとした。
氏は、研究者ではなく画家だと言うから驚く。
その研究姿勢は本業の片手間に熱心に取り組んだと言うものでなく、人生の全てを傾注したということを聞いて、さらに驚いた。
現在、土器づくり同好会で調合された粘土を安価で手に入れ、作り、焼成して往時の縄文土器のレプリカを目指すが、技術や解釈の浅さからなかなか思い通りのものができない。
こんなとき、現代人の美的求心や完全なものを作る力量は明らかに退化しているように思ったりする。
短期のうちにそんなことを感じられたのは、失敗に失敗を重ねた苦労を介さない、軽薄なものかもしれない。
開催場所:加曽利貝塚博物館内企画展示室
期日:2017年1月29日まで
時間:9時から17時(入館は16時30分まで)
休館日:月曜日と祝日の翌日、年末年始(12月29日から1月3日)
プロローグ
群馬県桐生市に住む故新井司郎氏は、縄文土器の美しさに魅せられ、土器を作りはじめた。
郷土である桐生の遺跡を足しげく訪ね、土器のかけらを拾っては観察、
縄文土器そのものをつくることに情熱を燃やしつづけた。
約10年間で製作した土器、その数およそ3千点。
博物館開館から間もない昭和44年、新井氏の情熱と研究姿勢に感銘を受けた博物館は、
新井氏を縄文土器製作研究所の所長として迎える。
新井氏は桐生と加曽利を往復しながら土器の製作研究を進め、志半ばで急逝されるまでのわずか2年間で、
およそ100点に及ぶ複製土器を製作した。
ここに、新井氏の縄文土器にかけた情熱の一端を紹介する。
実際に製作された縄文土器の一部
加曽利貝塚博物館所蔵
「俺は学者じゃないよ。 土器づくりの職人なんだ・・・」
「展示ケースの中の土器をいくら眺めていたところで何もわかりはしない。まず使用しなければならない」
新井士郎『縄文土器の技術』より抜粋
土器づくりの姿勢
新井氏は、当時の考古学者による机上論的な縄文文化研究に疑問を感じていた。
縄文人の土器づくりも、その土地の気候や環境に影響され、採れる粘土なども土地ごとに異なる。
机上論ではなく、「実際に製作し実用jに供する」が持論であった。
新井氏は縄文時代の気候や環境によって制限される土器づくりの条件を踏まえたうえで、
粘土の採取から混和材の研究、焼成の温度、製作土器による煮炊きなどの実験を繰り返し行い、
そのデータを収集することで、縄文土器の本質に迫ろうとしていった。
「土器製作の目的は、土器の用途にあり、土器の存在理由は、土器の機能にある。
ならば、この縄文土器の製作実験の目的もまた、この土器の用途実験にある」
新井士郎 『縄文土器の技術』より抜粋
土器の用途実験
新井氏は「粘土、製作技法、焼成方法等の事件研究を繰り返し、
これらの実験は全て用途の実験と有機的関連なしには語れない」と述べている。
言い換えると、縄文人は使うために土器を作るのであって、使えない土器を実験製作したところで、
縄文土器を複製したとは言えない。
粘土・製作技法・焼成、そして製作技術の一つが欠けても土器は完成し得ない。
新井氏は、土器の用途実験を行うこの段階に至るまでに、幾多の試行錯誤を繰り返し、
膨大な量の泥と汗に塗れてきたのである。
エピローグ
【新井氏の遺志を継いで】
元々心臓を患っていた新井氏は、加曽利貝塚に来てから約2年後の昭和46年、志半ばで急逝された。
氏の研究は道半ばではあったが、当時の考古学者が考えもしなかったことを、
職人のモノ作りの視点から、製作を繰り返し、データを蓄積する方法で実証していった。
ゼロから手探りで試行錯誤を繰り返し、飽くなき研究心と情熱を持って、土器に向き合ったのである。
氏の研究成果は、その後の土器研究に大きな影響を与えたのである。
新井氏の死から1年を経た昭和47年、博物館は市民と一緒に行う土器づくり体験を通じ、
互いの経験や知識を出し合いながら共同研究・学習する「市民土器づくりの会」を開催した。
これは新井氏が、博物館を訪れら市民や学生、近所の子供達に、
自らの経験や研究成果を分かち与えていた姿勢を受け、その遺志を継いで開催されたものである。
「市民土器づくりの会」は現在まで連綿と続けられており、
その参加者により結成された「土器づくり同好会」も活動を続けている。
また、当時新井氏に教えを受けたある少年は、後に考古学者となり、今でも土器の製作研究に携わっている。
(加曽利貝塚博物館 同展示会のパネルから転載)
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タグ:加曽利貝塚
おはようございます^^
世の中には立派な方がいらっしゃいますね。何しろ障害を傾けられる「対象」があるのは羨ましいです。
by mimimomo (2016-12-22 07:40)
mimimomo さま
おはようございます
「芸術は爆発だ!」で有名な岡本太郎氏も縄文を追求した画家だと言われています。人類の厳しい生活にかける中で、何かを追求していたもの凄いパワーを感じます。
そのパワーにハマってしまった幸せな方だったと思います。
お会いしたことはありませんが、すごい方だったと想像できます。
by DANKAI_Gen (2016-12-22 10:44)
こうやって再現できたら
当時どのように作っていたのか
よく分かるでしょうね^^
by ぽちの輔 (2016-12-23 07:57)
ぽちの輔 さま
いつも有難うございます
おっしゃる通りだと思います。
私は寸法だとか形状を再現するのに腐心しますが、新井氏はどう作る、どう使うが研究の主体で、必ずしも形状まで正確にないと言う話も聞きました。
by DANKAI_Gen (2016-12-23 09:46)
あらら、生涯ですよ(><; すみません。ちゃんと見て送信したはずなのに・・・(__;;;
by mimimomo (2016-12-24 10:47)