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火縄銃演武 [観光情報]

火縄銃演武_千葉市郷土博物館-01.jpg


火縄銃演武 in 千葉市立郷土博物館

 

   いやぁ、その日(8月21日)はまさに夏にふさわしい暑い日だった。

夏のギラギラの太陽光が降り注ぐ広場での演武で、高速シャッターが可能で、射手の指使いを見てからシャッターを切ろうなどと算段していた。

最近のカメラは起動のスピードもシャッタータイムラグもひたすら短時間化してきている。

だからいい被写体かななどとタカをくくっていたんだ。

 

 

今年が千葉開府890年の記念すべき年にあたるそうだ。

890年ってちょっと半端な年になぜ?は突っ込みは無しにして、区切りの年だ。

 

この開祖の人物が千葉氏ということで、千葉宗家がもっとも厚く信仰した寺で、江戸時代には妙見寺と称され、明治時代の神仏分離令によって千葉神社と改称されたこの神社で、記念の年に例祭「妙見大祭(みょうけんたいさい)」が8月16日、22日の両日行われるということで、楽しみにしていたところ、結果的に両日とも台風の影響(大雨)で行くことを断念した。

 

いろいろ妙見大祭を調べているうちに、この「火縄銃演武」という行事があることを知った。

この行事は千葉市が主宰する「親子三代夏祭り」の行事の一つで毎年行われているという。

 

 

話を戻して、千葉城と言われるお城を模した千葉市立郷土博物館の広場で山伏の法螺貝の音を合図にいよいよ開始された。

11時に開催され30分間のものだ。

その後、千葉中央公園へ移動して午後1時からも簡略化した演武をすると言っていた。

 

 

発砲音はびっくりするほどの大音響で、意図的にシャッターを切ったというよりびっくりして硬直して指が動いたという感じ。

もちろん半端なシャッタースピードじゃブレちゃうことだろう。

写真だから音はとれないが、その煙で想像してもらおう。

目では確認できなかったが、銃口から火花も出ていた。

音になれたことには再度山伏が登場して演武が終了した。

 

その後に銃に触れたり、近寄ってじっくり銃を眺める機会が与えられた。

鉄製の分厚い銃身のため、物凄く重いらしい。

素晴らしい体験ができた。

 

 

 

 

 

   


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続けて船内見学「氷川丸」 [観光情報]

氷川丸_山下公園-01.jpg


続けて 船内見学 「氷川丸」

 

   オーシャンボリーム号の船内見学を終えて、横浜中華街へ繰り出して激安の中華定食。

とても暑くて、中華街を散策していると人熱で倒れそう。

 

山下公園で海を見ようかって。。

 

いつも見慣れた氷川丸。

先ほどまで船内見学をしていたので、いつもとは違うように見える。

そういえば、幼児期に乗り物って絵本には、身近な自動車のほかに飛行機や旅客船もあったっけ。

旅客船は決まってというかモデルとなる船が決まっていたのか、船体が黒と白と赤で無理分けられ、それは絵本の中でも十分に眩しいほど美しかった。

氷川丸。よく見ると昔の絵本で大海原を波を切って憧れの外国航路を行く旅客船そのものじゃないか。

今は大海原を行くって環境にはないけど。

 

まさかこの船も船内見学ができるとは。

 

その前に山下公園を一巡。

 

例によってシニア料金でチケットを購入しいよいよ乗船。

これが、午前中に見たオーシャンドリーム号とはちょっと違って、すごくゴージャスではないか。

 

 

 

氷川丸のデータ(乗船券購入時に入手のリーフレットから)

 

重要文化財 日本郵船 氷川丸(海に浮かぶ文化遺産)

竣工:1930年(昭和5)

全長:163.3m

船幅:20.12m

総トン数:11,622トン

最高速力:18.38ノット

船客定員:286名



波乱万丈の氷川丸の歴史

氷川丸は1930年にシアトル航路用に建造された貨客線です。

1920年頃より、欧米が投入した大型船に対抗して、日本も優秀船を建造しようとの声が一気に高まり、当時の最新鋭の船として竣工しました。

戦時中は海軍特設病院船となり、終戦までに3回も触雷しましたが沈没を免れ、戦後は貨客線に戻り1953年にシアトル航路に復帰。

船齢30年に達し第一線を退くまでに、太平洋横断254回、船客数は2万5千余名と、大変活躍しました。

1960年に引退した後、1961年より山下公園の前に係留保存され長年にわたり多くの人々に親しまれてきました。

2006年に閉館して改装を行い、2008年に「日本郵船氷川丸」としてリニューアルオープンしました。

戦前の日本で建造され現存する唯一の貨客船であり、造船技術や客船の内装を伝える貴重な産業遺産として高く評価され、2016年に重要文化財に指定されました。

 

 

 

 

 

   


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オーシャンドリーム号船内見学 [観光情報]

OceanDream_船内見学-01.jpg


オーシャンドリーム号 船内見学

 

   船旅って、時差の影響も少なくて理想的な感慨へ旅の手段らしいが、おいらの唯一の船旅といえば、フェリーで東京から北海道への旅を思い出す。

日本沿岸を航行していたのだろうが、船上からどの方向を見ても海ばかりの退屈さは我慢できないほどの気持ちで時間を持て余した。

 

そんな強烈な記憶があったモンだから船旅って、お金持ちが社交と食事を楽しみながら移動するタイタニック号の映画に出てくる一シーンを連想させ、美味しい食事はともかく、社交など苦手のおいらには無縁なものだった。

 

そうはいっても、大きな客船の優美な姿には憧れる。

いつもの友達から、大型旅客船の船内見学会があるということ、しかも横浜の大桟橋で・・・

とてもいいんじゃないでしょうかって、船内見学会を申し込むことにした。

 

 

大桟橋へはみなとみらい線の「日本大通り駅」から徒歩、すでに見学会を目指さんとするような人たちで溢れかえっていた。

客船の大きさはよく知らないが、3000人ほどが見学のために乗船するようだ。

乗客定員は1400人ほどというから船内もごった返していた。

 

 

当日配布された」オーシャンドリーム号各クラスキャビンご案内」という資料を見ると、11階のフロアーを有する大型客船で、当日は4階から11階の施設や一部の客室が解放されて見学できるようになっていた。

4階から下は、乗員、スタッフの居所や機関室などということになるのだろうか。

 

1981年にデンマークで建造されたとある。すでに35年経っている。そうしてみると古いを感じさせるところもあるが、全般的に清潔感があって綺麗だ。

 

総トン数:35,265トン、 全長;205メートルという。

 

これで世界一周クルーズの募集をしている。

船内の随所に相談カウンターがあって、申込者のための専用のサロンも用意されていた。

 

客室は収容人数とベッド、部屋の大きさ、シャワー、トイレの設備、窓の有る無しなどによって(14タイプ)クルーズの価格は異なる。

世界一周のクルーズ(104日間)で400万から130万円/1人くらい。

それ以外にも近場のクルーズもあるようです。

 

憧れの世界一周クルーズが割と近い存在にも見えてきた。かな?

体験乗船で我慢かな。

 

 

 

 

   


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中国 上海・蘇州・無錫・千灯 4日間の旅(12) [観光情報]

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上海市 魯迅公園・上海魯迅紀念館(Luxun Gongyuan・Shanghai Luxun Jinianguan)

 いよいよこのツアーの最終日。最終日に至っても観光地巡りが組み込まれている。まさに盛りだくさん。

今日も晴天に恵まれた。この四日間は観光にふさわしい天気と気温だった。

普段の行いがいかに良いのか窺える。(もちろん、おいらを除いて、同行の二人の友人の話)

 

不勉強で「魯迅」という方がどういう人なのか知らなかったので、Webで調べて転載してみたい。(weblio辞書より)

 

(1881~1936) 中国の文学者。浙江省出身。本名は周樹人,字(あざな)は予才。初め日本に留学して医学を志したが,のち文学に転じた。「狂人日記」「阿 Q 正伝」など数々の小説・詩・散文を発表して社会悪の根源をえぐりだした。中国左翼作家連盟の中心として各派と激しく論争を展開。著作集「吶喊(とつかん)」「彷徨」「野草」など



魯迅公園の入り口にバスが停車して、ここから集合時間を知らされて、公園内を自由に散策することになった。

公園内はこれまた、中国の朝の景色「太極拳を舞う」が有名だが、ダンスをするグループ、太鼓や笛で舞うグループなどなど、どういう集団かわからないが、広場内を余すところなく思い思いに興じている。

すごく健康的じゃないか。

 

日本でも近所にこんなところがあれば、ダンスは?だが、太極拳なんかやってみたくなる。

 

公園内の一角に魯迅祈念館があり、無料で入館できる。

 

残念ながら予備知識がないのと日本語解説がないのと、時間もないのと、ってことで綺麗で静粛な館内を一巡して来たにすぎない。

 

集合時間になって、再びバスに乗車して浦東空港へ向かう。

 

搭乗手続きを完了して、早めに搭乗ゲート付近に移動してくつろいでいると友の一人が飛んできて、搭乗ゲートが変わったという。

血相変えて、早足で移動する。

アナウンスもあったんだろうが、聞こえなかったのか日本語でなかったのか。

 

搭乗はボーディングブリッジではなく、バスで移動してタラップでの利用だという。

その昔、「兼高かおる世界の旅」なるテレビ番組があって、PAN AM(パンアメリカン航空)だったかに搭乗するタイトルバックの映像がタラップを利用していたのを、飛行機独特の搭乗で、あのように搭乗潤んだって一種の憧れとともにぼっと見ていたのを思い出す。

最近はやりのLCAでは経費の低減を目的にタラップを利用することも多いと聞いたが。。。

 

いかにも飛行機に搭乗するっていう感覚を味合いながらシートに収まって、旅の思い出に浸りながら機内サービスのワインなどをいただいた。

 

 

 


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中国 上海・蘇州・無錫・千灯 4日間の旅(11) [観光情報]

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上海市 新天地散策(Xintiandi) 

 新天地(しんてんち)は、上海でも人気の観光スポットだという。

1920~30年代建設の「石庫門住宅」 を旧フランス租界の街並み風に修復し、過去と現代が融合した空間になっている。その街にちょっと名の通った有名店や話題の店がたくさん集まっているところと言ったところでしょうか。

 

買い物や飲食を求めて来場する人はもとより。古い町並みをリニューアルした狭い路地を散策するためにも面白そうなところだ。

統一感を持ってよく整備された街づくりをしている。

 

日本でいうと、大規模開発によって出来上がったアウトレットモールみたいなところかな。

 

その中で、「ORENO」っていうレストランに目がいった。

日本では銀座あたりに数多く出店している立ち食いの高級店「俺の◯◯◯◯」っていう店の姉妹店。

高級で高価な料理を提供するレストランで、立ち食いによって客の回転を良くすることで利益を得ようとするビジネススタイルだ。

 

この店が中国に出店し、試行錯誤しながら開店までなんとか間に合ったと言うドキュメンタリー番組をテレビで観たことを思い出した。

番組の内容は、中国では食事の時に立ち食いへの嫌悪感があって、日本のスタイルをそのまま持ち込めない。

結局、座席のある従来型のテーブルと座席なしのものと2タイプを用意して、それぞれに価格差を設けたと言うことだったと記憶している。

 

その店(だったと思う)が目の前にあった。

結構繁盛しているように見えた。

日本語の「ORENO」で打って出る戦略もいいんじゃないだろうか。

 

 

街中は樹木が適当に配されていて綺麗だ。レンガ造りの建物もレンガ壁面を塗装?して一部のレンガをレンガ色で残し、ラインが通っているなど、プランナーやデザイナーが上手く融合してできた街ではないかと伺えた。

日本でもこのところ古いものを残して上手く融合させていく手法で街づくりがされているのを見る機会が増えてきたが、いいね。こういうの。

 

 

 

 

 


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中国 上海・蘇州・無錫・千灯 4日間の旅(9) [観光情報]

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上海市 外灘(がいたん)(Waitan) 散策  

 上海を紹介する写真で必ず出てくるビューポイント。それが、外灘だと初めて知った。

と言っても、どのように読むのかわからない。

 

中国の地名や人名は多くは日本の漢字の音読みを当てている。

でも、上海はジョウカイとは言わない。北京はペキンと発音するが中国語でも英語でもないらしい。

外灘(がいたん)は音読みを当てたパターンらしい。

 

ところで、日本でこうして覚えた固有名詞の発音は、日本国内でこそ通じるが中国はもちろん海外では通じない固有名詞が多い。

人名などは、相手の名を尊重するとの観点からは、発音まで含めて正確に言うことが正しいのではないだろうか。

また、せっかく覚えるんだったら、正しい発音で覚えたほうがいいように思うけど、どうなんだろうか。

 

中国語ばかりでなく、英語の名詞も略した言い方がとても多い。

また、これは和製英語だから、英語圏で使わないように、などの注釈がある単語も多いように感じる。

ボーダレスだの小学校での英語授業導入などと言っておきながら、一方では、言葉の上で鎖国状態を維持したいのだろうか。

 

なんか釈然としないから、このシリーズの記事のタイトルにはわかる範囲でアルファベットで中国の発音に近い読みをつけてきた。

中国語は抑揚がないと通じないので、ピンインを用いて書き現わすのが良いが、表示方法がわからなかったのでご容赦ください。

 

 

ところで「外灘」という名称は、「外国人の河岸」を意味する。この地がアヘン戦争後の条約によって中国大陸各地の条約港に設けられた外国人居留地の時代の名残にちなんだものだろうか。

 

華やかな観光地にも苦悩の歴史が埋もれているんだ。

そんなことは微塵も感じることはできないが。

 

ツアーでは午前中に外灘散策と予定にあった。

オプショナルツアーで同じポイントを訪れたが、全く異なると勘違いするほど違っていた。

午前中は高湿度のためか、春霞の向こうに、上海というと必ず見る川岸(黄浦江)から眺める対岸(東側)の近代的高層ビル街と独特のデザインのテレビ塔などが、ぼっと浮かんでいる。

 

夜に再訪すると、霞は晴れて見事にライトアップされた建物が美しい。

そればかりか、黄浦江の反対側の中山路(中山東路)沿いにある西洋風の旧館が立ち並ぶところもライトアップが美しい。

このポイントは夜訪れるところだろうな。

 

 

 

   


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中国 上海・蘇州・無錫・千灯 4日間の旅(8) [観光情報]

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上海市 M50創意園区 

 今ツアーも三日目になって、いよいよ後半だ。蘇州のホテルをたって、上海市へ移動(行程 約120km 、約2時間20分ほど)。

 

昨日までの中国の古都を巡る旅は終わって、逆に近代的な都市「上海」を巡ることとなる。

訪れる予定となった場所は、近接しているので移動の時間もかからない反面、頭の切り替えが短時間のせいでできない。

次の地区を廻った。

・M50創意園区(配布されたツアーの日程表ではM50創業園区と成っていたが、創意園区が正しいようだ)

・外灘(がいたん)

・上海美術館

・新天地

・(オプションで外難夜景+観光トンネル+上海ヒルズ94F散策)

 

順を追って記事にしていこうと思う。

 

 

 

まずは「M50創意園区」

 

国策として発表された「創意産業」を受け、上海市は利用価値を失った工場、倉庫の跡地などを有効的に使用して第二次産業から第三次産業への転換を図り文化性。創造性を向上させるべく「創意園」と称して試行しているという。

「M50創意区」はその数多く存在している「創意区」の一つらしい。

 

「M50創意区」は蘇州河が隣接して地帯で、かつては水路を利用した運輸の盛んな地域であったという。

そのような立地で工場群と倉庫が多数存在している。

1999年にはこの地に何人かの芸術家が住居してきたことをきっかけに、古い工場が近代産業遺産をして見直されるようになったという。

2005年に第一次創意区として認められると、芸術家のスタジオ、画廊、展示空間などとして利用されている。

 

 

中国というとコピー商品が氾濫しているというイメージが定着した感もあるが、一方でこのような創造性を推奨する受け皿を作っていたとは、すごいじゃないか。

是非とも成功を収めてもらいたい。

その成功をもって日本の手本にもなってほしいな。

 

広い敷地内には幾つかの建物があって、それぞれにギャラリーなどが営業している。

時間がなくて多くを見ることができなかったが、幾つか入ったギャラリーは広さを活かした展示は面白い。

 

 

 

   


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中国 上海・蘇州・無錫・千灯 4日間の旅(7) [観光情報]

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白花洲公園に残る胥門 これも遺跡



蘇州市 蘇州運河遊覧  

 蘇州は水郷の町で、運河が街中を網の目のように走っていおり、別名「東洋のベニス」と呼ばれ、元の時代にマルコ・ポーロもこの地訪れ、その景勝を絶賛していると言われている。

 

二日目の観光行程を滞りなく終え、希望者のみのオプショナルツアー「蘇州運河遊覧=ナイトクルーズ」。

バスは現場に到着し、希望者のみ下車し、それ以外のかたを乗せたバスはホテルまで行く。

 

ナイトクルーズを希望した私たちは、薄暗くなった広場から行列して蘇州市壁の門をくぐる。

そこは船着場で大勢の観光客でごった返していた。

小さな船は私たちツアーの人たち専用のようだ。

実は、運河を行く遊覧を沿岸の中国らしい景色を想像しながら楽しみにしていた。

 

船の往来が激しくて、船だから揺れるので、暗いのと相まって写真の撮影は厳しい。

時々、船が行き過ぎた時の波で窓に飛沫がかかる。

橋の下をくぐるので、乗船室が水面に近くて、窓を開けると水が入ってきそうだ。

これもまた、写真撮影には好ましくない。

 

両岸とも建物や植えられた柳などが美しくライトアップされている。

このように観光客を誘致するために地域揃って協力することで、豊かになったということだ。

利己主義が多いと言われる中国でよくもまとまったものだと感心した。

 

船が往来するには狭すぎるところを抜けると、そこに下船する船着場があった。

ここは、船も人もよくもこれほどというほど多数集まっている。

それがまた美しい。

 

「蘇州の夜」のクルージングなかなか良い船旅だった。

 

 

   


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中国 上海・蘇州・無錫・千灯 4日間の旅(6) [観光情報]

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蘇州市 世界文化遺産 虎丘 (Hu qiu 

 この観光地、正確に言うと行っていることにはならない。

 

虎丘は標高30メートルほとの丘の上に呉王「闔閭」(こうりょ)の墓のあるところで、埋葬後に白虎が出たことで虎丘の名がつけられた。上の写真は虎丘への入口にある碑坊といわれる門で、「呉中第一山」(呉の中で第一の山と)いう字が見えます。

 

この門の前に集まって、5分間滞在で写真を撮って次に移動するという情けない内容だった。

 

丘の上に建つ塔は、八角の七重塔で傾いていることから、「東洋のピサの斜塔」と言われているというが、この地点からは傾きは感じない。

バスの車窓から見た塔は確かに傾いていた。

 

そんなわけで、バスまでの道中での屋台の写真などを羅列することでご勘弁を。

 

屋台や水に関わる話(今回のツアーでガイドをされた中国人から聞いた内容)

・便秘で悩んでいる人いませんか。そうした人は水道水を飲めば即座に改善します。

 便秘でない方は、水道水を絶対に飲まないでください。

・屋台で食べ物を購入して食べないほうがいいです。

 ガイドとしては、これを言うのは辛いことですが、あえて言います。

 ガイドが言わないで食あたりになった場合、ツアー運行に影響が出るし、本人にとって非常に不幸なこと。

 逆に「食べないで!」というと、なぜあの美味しそうなものを禁止するのかって恨まれす。

 屋台の食べ物は不衛生で、バケツ2杯の水ですべて賄っている。中国の人が食べて大丈夫でも、耐菌性の低い日本人には勧められない。

・果物は農薬に気をつけないといけない。洗えば済むって思うかもしれないが、手に付いた農薬のことも注意が必要。

 

半分冗談かも。あるいはツアーを無事に終わらせることの責任感からの話なのか。

実際のことなのかは不明。

 

 

この話で、忘れるに忘れられないということがある。

かつて、仕事で訪れ順調に終わりつつある時、あと二日で帰国の予定になっていたあの日、仕事が終わってホテルに帰ってから始まった。

上から下から、ところ構わず見舞われた。

胃にも、腸にも何も入っていないのに出るわ出るわ。

翌日も同じ。

考えられるいいことは、身体が軽くなったくらいかも。

残りの全ては悪い方、内臓系だけで収まらずに頭も痛い。

何が、当たったのか考えてもわからない。もちろん水道水は飲んでいない。

幸いなことに、一日半ほどで夕方には症状が軽くなった。恐る恐るおかゆを食べた。

その翌日、香港イミグレーションでの検疫検査もすり抜け、無事に帰国できた。

 

日本でも、時々お腹の具合が悪くなって下痢することもあるが、その比ではない。

あの苦しみは忘れることができない。

 

という話をこのツアーに出かける前に、同行の友に話しした。

そして前項のガイドの話。

友の一人はかなり神経質になっていた。

 

これも先のガイドの話と一緒で、知らないで急に見舞われるか、知っていることで防止になるか。

どっちがいいんだろうか。

今さら遅いけどね。

 

 

   


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中国 上海・蘇州・無錫・千灯 4日間の旅(5) [観光情報]

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蘇州市 世界文化遺産 耦園 (Ou yuan 

 無錫の観光を終えて、バスに乗車して蘇州へ移動(行程 約65km 約1時間10分ほど)。

耦園(ぐう園)は2011年11月に、ユネスコ世界分解遺産に選定されている。

今回のツアー観光地巡りで初めての世界遺産だ。

 

江蘇・安徽・江西省の総督の「沈秉成」が隠居した後に再建された。

沈氏夫妻とも隠居したため「耦」(耦は偶の発音と同じ)と名づけられた。園内に築かれた黄石の築山は蘇州庭園の中でもユニークな存在である。

 

入園は立派な門をくぐって、小さな橋を渡ると突き当たりに、世界遺産の石碑が鎮座している。

さらに橋を渡って、川沿いの細道を行く、右側には耦園の土塀が続く。

いい雰囲気だ。期待が持てそう。

 

大きな門をくぐって入園。すぐに太鼓橋があり突き当たりにユネスコ 世界文化遺産の碑がある。

右に折れて、左に曲がると川沿いの小径の左が川と桃の花が満開の景観を楽しめる。

右が耦園の土塀。ちょっと高い塀なので、中を見ることはできない。

高いのは妻が逃げ出さないような工夫だというが、本当か。

 

庭園や庭木、それぞれの目的にあった部屋や調度品。どれを取っても完成度が高く美しい。

人間が作った暖かさが滲み出ている。

 

ここまで車窓から見てきた高層の住宅とは対極的な存在だ。

どちらも人間が生活する環境だけど。

 

おいらはどちらかというと、耦園派だけど、おまるだけは勘弁願いたいな。

 

 

   


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中国 上海・蘇州・無錫・千灯 4日間の旅(4) [観光情報]

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無錫 清名橋 (Qingming Bridge 

 無錫周辺の古い街並みは、ここ清名橋でも同じような景観だ。

異なるのは、ほかの街並みはお土産ショップが古い民家内で営業しているのに対して、この清名橋周辺の古鎮では、住民が実際に生活していると伺える。

 

ここの住宅は、長屋形式の古い建物で、一つの特徴としてトイレが無いとのこと。

トイレは「おまる」で済ませるということ。

そのあとは、川に流していたことは想像に難く無い。

水道はどうなっているのか聞き忘れた。

 

ガスはなくて、練炭(れんたん)を使用する。

練炭って、ご存知無い方も多いかも。

石炭を砕いたものを筒状に固めたもので、熱効率を考えて何箇所か穴が空いている。

 

おいらが幼少の時代には、これを朝、練炭コンロに入れて着火させる。これを約1日分の煮炊きに使用する。

冬場は掘りごたつの熱源にも使用する。

 

練炭を着火させるには、練炭コンロに新聞紙を丸めて入れ、その上に細く割った薪をそっと乗せて、新聞紙にマッチで点火して薪に安定して火が移ったのを見計らって、練炭を入れて練炭に火が移るまで、コンロの下の空気穴に向けてうちわで空気を送り込む。(練炭をコンロに入れる時、斜めに入れてコンロの途中で留置き、コンロの下までドスンと落とし込むと、薪の火が消えてしまうことを防止する。このアナログ的手加減が絶対的に必要な技術だったんだ)

 

その後、練炭火ばしで練炭をつかんで着火した側を上にして、再び練炭コンロに入れなおす。

 

練炭はその後、着火しやすい部分が付いたことで、その部分を上にして、新聞紙と薪を燃やすことで、容易に着火した革命的改良版ができたように記憶している。

 

余談だが、着火後の練炭コンロを表に持ち出して、焼き網を乗せてサンマを焼いた、そのサンマの味が忘れない。

どこの家庭でもやっていた。

 

ウィキペディアによると「練炭」は日本の発明品だということだ。

 

その練炭を、ここ清名橋の古鎮で見ることになるとは思ってもいなかった。

 

日本の標準的家庭の生活様式と比べて、遅れているんだろうか。豊かではないんだろうか。

不便な生活を強いられているんだろうか。

 

昔の生活を体験してきたおいらには、よくわからない。

 

 

   


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中国 上海・蘇州・無錫・千灯 4日間の旅(3) [観光情報]

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無錫 南禅寺 (Nanchan Temple 

 前記事の恵山古鎮からほど近いところにある、古寺「南禅寺」に到着。

バスが交差点の反対側に停まったので、南禅寺には横断歩道を渡っていくことになる。

ただでさえ広い道路の横断歩道。車も電動バイクも入り乱れる中を無事に渡れ終われるか。

そこは、日本で言うところの「赤信号、皆で渡ればこわくない」ってことで、ボリュームアピールしながらツアー団体19名は無事に渡り終えました。

 

 

商業地であり大きな街中に取り残された感のある南禅寺。

歴史を感じる佇まいは多くの信心深い人たちで賑わっている。

境内には遠くからでも見える塔「妙光塔」、高さ43メートルがそびえている。この塔を登るのは有料らしいが、他は無料で参観できる。


このような歴史ある寺院では、日本の場合、開祖や変遷などの説明を受けたり、パネルで表示され、各々が解説文を読み、ある程度理解しながら、知識をベースに参観するものなんだろうが、この地ではあまりそうしたことはないようだ。

単に宗教施設であり、観光地である。


まっ、それでも十分楽しめるし、心が満足する。


日本の古寺とは建物の様式が異なるが、伽藍配置は似ているようだ。

歴史的、文化的に繋がっていることがよくわかる。


なぜか、こうした環境にいるととても心が和む。

そのようにデザインされた長年に渡って完成された文化というものが、そういう作用をしているのだろうか。

 

 

   


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中国 上海・蘇州・無錫・千灯 4日間の旅(2) [観光情報]

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ここを抜けると恵山古鎮だということ



無錫 恵山古鎮(Huishan Old town) 

 前日、蘇州のホテル泊でゆっくり旅の疲れもとれたのか、どうかわからないが、とにかく朝8時にはバスに乗り込んで次の目的地へ出発。

 

朝食は例によって、バイキング方式。まっこんなモンかっていうメニュー。

 

無錫_恵山古鎮-00.jpg


 

蘇州から無錫(むしゃく)まで、約65km、約1時間10分ほどの行程。

 

途中、大きな交差点では、興味深い光景を目にすることができる。

不動産業者の営業担当だろうか、プラカードを掲げマンションの購入目当てに来るまでやってきた客の注目を喚起している。

それが、車の前に飛び出すような、危険にも見える所業でびっくりする。

あっけにとられて、写真撮るの忘れていた。

 

ガイドによれば、日本からの観光客は日本にない中国的を好むはずなので、これも名物になりうるということであったが、納得だ。

 

この辺りも高層の住宅が建っている(入居しているようには見えないものもある)あるいは建設中のものも含めると、ものすごい数におよぶ。

 

バブルそのものって感じだ。

 

上海はマンションの金額が高騰し、それに比べて上海に近い蘇州はまだまだお買い得感があるという。

 

 

無錫市は上海市の西、約110kmに位置し、江蘇省にある。中国で5番目に大きいとされる太湖(Tai-hu)の北岸にある。

錫(スズ)鉱山があったが、それを採掘しつくしたということから、無錫となったなど諸説あるが確証はないらしい。

太湖は淡水の湖で、魚介類を産するだけでなく、太湖石、淡水真珠などが有名。

また、泥人形も有名だということだった。

恵山古鎮

古い町並みを残して、カフェや中国の土産物、中国ファストフードなどを商う店舗が連なっています。

歴史を感じさせる建物の外観は見応えがあります。

説明表示板などがない点がちょっと残念です。

観光客が多く、人気のほどがわかります。

中国人と日本人では歴史的観光地に求めるものがちょっと違うのかなって思いました。

この町並みで一番気に入った箇所は入門してすぐ左側にあった「無錫 老酒の店」。店内には老酒を作る説明や、絞り器や熟成のための瓶などが展示してあって、視覚的にも楽しめるが、強調したいのは、店内に漂う香り。

なんとも言えない良い香りがするんだ。

酒飲みにはたまらないね。

 

ここでしばらくじっとしていたかったが、盛りだくさんのツアーの場合、一箇所にとどまる時間が短いばかりか、集合時間をしっかり守らないといけない。



 

   


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中国 上海・蘇州・無錫・千灯 4日間の旅(1) [観光情報]

上海ツアー_出発便-01.jpg
成田発 9:35 上海浦東空港行き JL-873便


中国 上海・蘇州・無錫・千灯 4日間の旅(1) 

 中国へは、2004年くらいから2014年くらいまで、10数回ほど出張で往復してきたが、その時の行き先は広東省広州市の工場地帯で観光とは無縁の地であった。

 

中国には数々の世界遺産をはじめ多くの有名な観光地があるのは知ってはいたが、それを目的として訪れることはなかった。

 

テレビや写真で見るそれらは、景色、寺院、民家などのすべては田舎を持たなかったおいらにとっては、癒されるような感覚をおぼえていた。

 


一方で、大気汚染や食品安全性などの負の情報も多い。

日本とは近い国でありながら、韓国・台湾、香港などの観光地に比べると人気のほどはどうなんだろうか。

(台湾・香港などは中国の一部ですが)

 

そんな中で、恒例になりつつある春の旅行を計画するにあたり、安価、盛りだくさん、食事付き、歴史的景観などなどの欲張りな条件を設定し、消去法で残ったのが、今回のツアーってことになったようだ。

 

3泊4日の中国の旅は、3月25日に始まった。

 

おおよその行程は以下のようになっている

3月25日

 ・成田〜上海浦東国際空港 (SHANGHAI PUDONG INTERNATIONAL AIRPORT)

 ・専用バスにて 千灯

 ・蘇州のホテル泊

3月26日

 ・ホテル〜無錫

  ・恵山古鎮

  ・清名橋

  ・南禅寺

 ・無錫〜蘇州

  ・ぐう園(世界遺産)

  ・京杭大運河(世界遺産)

  ・虎丘

  ・蘇州ホテル泊

3月27日

 ・ホテル〜上海

  ・M50創業園区 M50創意園区

  ・上海博物館

  ・新天地

  ・外灘

 ・上海ホテル泊

3月28日

 ・ホテル〜上海

  ・魯迅公園・魯迅記念館

 ・上海浦東国際空港〜成田


今後、いくつかに分けて記事にしていくつもりです。



 

   


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首都圏外郭放水路見学会 地中異次元空間 [観光情報]

首都圏外郭放水路_南桜井駅前-01.jpg
南桜井駅前ターミナル



首都圏外郭放水路見学会 地中異次元空間 

   こんなに情報が氾濫していると、無料の見学会で人気のありそうなものって、普段の生活では出会えない、味わえないというのが、人気のようだ。

ネットでこの見学会があると知ったのも、地下の神殿のような巨大な空間に目をとめたからだ。

 

この見学会は人気のようで、ネット経由で参加を申し込むのも大変そうだ。

 

火曜日から金曜日の4日/週で1日4回の募集枠がある。

1コース約30人ほど?

申し込みは<このサイトから>

 

 

参加希望が承認されると予約番号などとともに登録したメール宛に返信されてきて、それで当日に埼玉県春日部市の「地底探検ミュージアム 龍Q館」に見学開始30分前までに行けば良い。




そんなわけで、いつものおじさん3人組で出かけたのは、昨年の年末。

最寄駅は東武野田線(最近、東武アーバンパークラインなんて洒落た別名があるみたいです)南桜井駅。

 

駅からは、徒歩では40分という案内があるが、見学会は地上から地底、帰りも地上までを全て個々人の人力でということなので、余力を保っておく必要があると考えた。

ということで、春日部市コミュニティーバス「春バス」を利用。



龍Q館に向かうバスはマイクロバスで、見学者らしい人たちもたくさん乗車で満員。

龍Q館に到着して2階の受付まで階段を駆け上がって、受付をすませる。

開始の時間とともに、2階の床面や壁面にあるパネルを利用して係員から放水路の有用性と、首都圏の洪水の危険を回避するための施設などを説明される。


まだ、記憶に新しい「茨城県常総市の鬼怒川堤防決壊」の画像が脳に焼き付いているので、説得力があった。



一通りの説明が終わって、いよいよ「調圧水槽」へ移動するが、「5階から6階の建物内の階段を上り下りできない人は、見学を遠慮してほしい」と注意があった。

しかも、階段の途中で休むこともできないと。

しかし、ここまで来て辞退する人はいないと思うけどね。


龍Q館の外へ出て、内部へ入る階段まで移動。

足が速くなる。


階段はそれほど苦も無く、降りることができました。(下りだもんね)


大きく、太い柱が何本も並ぶ様は、どこかで見たことある「地下神殿」のようだった。


説明によると、この柱は構造体というより、調圧水槽が地下水の力で浮き上がってしまうことを防止する重りの役がメインだとのこと。


広いスペースだが、見学エリアは限られた狭いところだけなので、高さや幅は実感できるが、奥行きは見るだけ。


10分か15分くらい留まっていたのだろうか。

人数を確認して再び地上に出る。

道路の左側のサッカーコートの下が調圧水槽の上部なんだどうか。


一同、異次元を体験して満足そうな顔に見えました。

 

おいら達の一番の疑問は、どうやってあれほど巨大な建造物を地下に建設できたか?

龍Q館での説明についで、調圧水槽にも同行して説明してくださった女性の方があの階段を1日5往復するというのを聞いてすごいな・・・って、どうしたらそんなに元気になれるの?

いろいろな説明をソラで滞りなくいう、女性説明員の記憶力ってすごいな・・・どうしたらそんなことできるの?

 

 


   


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勝鬨橋(かちどきばし)橋脚内見学に行ってきた [観光情報]

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見学参加後にお土産としていただいた絵はがきセットにあった一枚
いまでは動作することない勝鬨橋だが、当初は写真のように開閉式の可動橋で架橋され、
稼働していた時代があった。
その当時の施設の一部が見学コースに組み込まれている



勝鬨橋(かちどきばし)橋脚内見学に行ってきた

   かつて、国際展示場といえば晴海であった時代には、徒歩にしても、バスにしても、都電でも、銀座から晴海通りを勝鬨橋を渡って行くコースが一般的だった。
都電なんか荻窪〜新宿経由で走っていた。

そんなことくらいで勝鬨橋については、たいした知識もないが、いつだったかテレビのニュース番組で見学会があることを知った。

例によっておじさん3人組で出かけるべく、見学会に申し込みを行うことにした。
調べて見ると、「東京都道路整備保全公社」ってところで受け付けていた。

週一回(木曜日のみ)で一日に4回の募集枠があり、往復はがきで申し込みということがわかった。


ある木曜日の昼ころ、おじさん3人組は三越銀座店ライオン口で待ち合わせ。
この場所は渋谷のハチ公前みたいにメジャーな待ち合わせ場所なのか、デパートの入口付近には大勢の人で出入りもままならないくらいの混雑。


しかし、まぁ外国人の多いこと。
それに外国の有名ブランドショップも凄い。
いつごろからか銀座の景色が変わったんだろうか。
時代の変化って目を見張るものがある。
これと対照的に変わらないのが勝鬨橋?こじつけも多少無理があるかな。


せっかくの銀座なんで、いろいろブラブラしながら、晴海通りを築地方面へ

築地市場と隅田川(この川が隅田川だって今回初めて知った)に挟まれた勝鬨橋のたもとに、集合場所の「かちどき橋の資料館」っていうのがある。


見学コースは勝鬨橋の中程にある4つの石組みの建物の2階(橋脚部運転室)とその下の機械室が対象。
機械室に降りるときに、はしごを使うので転落防止のため、全員安全ベルトとヘルメットの着用が条件。



それで「勝鬨橋」について(入手したリーフレットの説明を転載)

勝鬨橋は、昭和15年(1940)に隅田川河口に築造された。わが国で最大規模を誇る可動橋です。
橋の中央部分を「ハ」の字型に開いて、1000トン級の大型船舶を通すことができました。

橋の名の由来
明治38年の日露戦争の勝利を記念して、築地と月島間に設けられた渡し場である「かちどきの渡し」に由来

勝鬨橋の建設目的
月島と筑地との連絡は、佃の渡し、月島の渡し、勝鬨の渡しの3つの渡しによっていました。
勝鬨橋は、こうした月島の交通不便を解消し、当時、埋め立てが進んでいた晴海や豊洲地区の開発支援のため建設された。

船が通れる可動橋にした理由
隅田川河口部は、江戸から明治、大正、昭和初頭頃まで港の働きのある水域でした。河岸には、倉庫や工場が立地しマストなど背の高い貨物船が航行していました。
また、造船所などもあり、大型船も航行していました。
このため、通常は人や車を渡し、一日数回開橋して大きな船を通すことができる可動橋にした。

開閉回数は一日何回
戦前は、一日5回開閉していました。戦後の昭和22年からは一日3回、昭和36年からは一日1回。
可動部は70度まで70秒で開きました。船が見える間、晴海通りは約20分間交通止めになりました。

開閉を中止したのはなぜ?
生活物流などを運搬する交通手段は、昭和30年代に入ると船や鉄道から自動車に転換して行きます。
このため、隅田川を航行する船が減少し、また勝鬨橋が渡している晴海通りの交通混雑が激しくなり、昭和45年11月29日を最後に中止しています。


   




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第84回土浦全国花火競技大会は新庁舎開庁記念でひときは盛大だった [観光情報]

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第84回土浦全国花火競技大会は新庁舎開庁記念でひときは盛大だった


 10月の第一土曜日が定例の開催日なんだろうか。3日の茨城県土浦市佐野子 桜川畔(学園大橋付近)の打ち上げ場所周辺の花火打ち上げの日以外の状態はわからないが、打ち上げ開始の時間には十分に余裕の早い時間に到着したにも拘らず、いつもの無料駐車場はどこも満車で、それを象徴しているように駐める場所を右往左往している車でごった返していた。
(警備をしている人によれば「午前10時にはどこも満車になった。」って信じられない)

そんなことで、あたりは昨年とは違う空気に包まれていた。

空気といえば、晴天に恵まれまだまだ強い日差しが降り注いでいて露出した肌を突き刺す。
それでも、夕焼け空を見るようになると急に涼しくなってくる。
同時に人出が急に増えて、いよいよ始まるかと気分も高まってくる。


アナウンスで「今年は土浦駅前に新庁舎が開庁した記念のスターマインがあります。みなさまご期待ください。」という。
昨年と違う?のはこれかな。

この花火打ち上げは「花火競技大会」の名の通り全国の花火業者がその技術を競う競技会のようで、競技は「スターマインの部」「10号玉の部」「創造花火の部」がり、それは素晴らしい見ごたえのあるものが多い。





   


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東武鬼怒川線で蒸気機関車C11復活か [観光情報]

C11207東武鉄道資料.jpg

東武鉄道株式会社の関連資料から転載


東武鬼怒川線で蒸気機関車C11復活か(〜約50年ぶりのSL復活で日光・鬼怒川地区の活性化を推進します〜)

 かつて、いまのJRを国鉄といっていた時代、福島県の会津若松周辺の路線には蒸気機関車(C11)が運行されていた。(会津線、只見線、日中線など)

首都圏から比較的近いので、よく撮影に出かけたものだった。

会津線沿線には有名な温泉地(湯野上、芦ノ牧温泉)や鮎の梁、観光地(大内宿、塔のへつり)などあり、蒸気機関車だけでなく楽しめた。

東北道4号線を経て、121号線に入ると日光の入口、鬼怒川温泉、五十里湖などを経て会津田島という山間の町に着くと、そこから西若松までの路線が会津線だった(資料によれば終着駅は会津田島でなく、会津滝ノ原とあるが、蒸気機関車は会津田島で折り返していたように記憶している)。

話は戻って五十里湖から先への山間には当時から工事途中で中断しているトンネルや橋脚などを見かけた。
関東圏まで会津線の延伸の計画だったが、工事は中断されていた。

この路線(野岩線)が完成して接続されたときには、すでに蒸気機関車は廃止されていたので、完成状態は見たことがない。

いまや東武鉄道の浅草駅から東武動物公園駅、新栃木駅、下今市駅(東武伊勢崎線、東武日光線、東武鬼怒川線、野岩鉄道、会津鉄道)などを経由して会津若松まで接続しているらしい。
※東武鉄道は、現在 野岩線・会津鉄道を通じ、会津田島まで直通運転を実施


先日、東武鉄道株式会社が下今市駅〜鬼怒川温泉駅間(12.4km)の東武鬼怒川線でJR北海道所有の蒸気機関車C11 207を借り受けて、運行を開始するとの記事に接した。

この区間はかつての国鉄の区間ではないため、正確に言うと国鉄会津線で撮影したものは参考にはならないが、とにかく理屈なしに嬉しいじゃないか。



<東武鉄道における蒸気機関車の歴史は、1899年(明治32)に導入させたPeacock社製のA1形にはじまり、1947年(昭和22)の60台をピークに徐々に減り始め、1966年(昭和41)6月26日の佐野線における蒸気機関車さよなら運転により全廃となっている。>
(東武鉄道株式会社 関連資料より転載)


まだ2017年度からを目途に運行としており、具体的な運行計画が公表されるのは先になりそうだが、期待して待ちたい。

心配はそこまで行けるほどの体力が残っているかかナ。

以下に国鉄会津線で撮り貯めた写真の一部をご覧いただきたい。

   


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日台食文化交流2015 行ってみてきた [観光情報]

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野口英世像



日台食文化交流2015(6月20日〜21日) 行ってみてきた

いきなり「野口英世」。
どういういきさつか知らないが、上野恩賜公園の国立科学博物館まえの木立のなかに佇んでいる。
ここが待ち合わせ場所。
こんな場所があることは今回初めて知りました。

アジア系の外国人観光客風の人たちも写真撮っているところを見ると、名所になっているのかな。

「日台食文化交流2015」の会場はその木立を抜けた噴水広場で開催される。
早めに着いたので、準備中の会場を見物してきた。

メインはライチ種飛ばしのようで、会場の中央部にブルーシートが敷かれていた。

それを囲むように、台湾のフルーツをはじめとした食べ物の販売テントが軒を連ねている。
さすがに臭豆腐はなかったけどね。
そんな中にいくつかの日本の食べ物販売テントもあった。

食文化交流というテーマにしてはちょっとぼけた感じもしなくはないが、楽しそうだったよ。













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白子たまねぎ祭り [観光情報]

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第15回 白子たまねぎ祭り(千葉県 長生郡白子町 白子古所海岸)
 
 ちょっと古くなったネタで申し訳ないが、5月10日のことです。
 
 5月のこの時期、毎年開催されている「白子たまねぎ祭り」過去何回か行ったが、たまねぎばかりか、雄大な海や田園風景なども味わい深い。
血液ばかりか、こころもさらさらになれる。
 
ところが今年の祭りは尋常ならざる人出でビックリした。
以前から会場付近は訪れる車で渋滞するが、今年は混雑を予想して少し早めに出立したが、到着すると駐車場からあふれた車が右往左往して「どうなっているんだ」と困惑。
 
 早い人は、10kg入りのたまねぎの袋を何束もそれぞれ準備したキャリアに乗せて、駐車場に向かっている。
 
さて、祭りといっても素朴なもので次のようなイベントが準備されている
  • たまねぎ掘り取り体験
    規定の袋(5kgネット袋)に詰め放題 参加費 500円
    参加希望者は「はさみ」をご持参ください。
  • 玉ねぎ畑まではシャトルバスで送迎します。
  • オニオンフライなどの試食
  • たまねぎ加工品の販売
  • たまねぎの直売はもちろんのこと農産物の直売
  • レクリエーションスポーツ挑戦 等々
  • それにたまねぎ即売 10kg 1000円



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